「極北シベリア」福田正己

はじめに

極北シベリア (岩波新書)

ぼくは寒いところで働くひとびとに何ともいえない憧れがある。たとえばシベリアの漁師とか、スコットランドの灯台守とか。命に関わるほどの極寒と孤独には詩情がある。灼熱の砂漠の民も命を懸けているという点では同じなのだが、こちらはなんだかさっぱりとした雰囲気が漂う。

この本はシベリアの永久凍土について、特に永久凍土の中にある「エドマ」「ピンゴ」といった構造についての研究調査記だ。これらを詳しく説明することはぼくの力量をこえているが、おおむね凍土の中に水が入りこむことでできる巨大な氷楔1や霜柱のことであるらしい。

特にピンゴというのはおもしろいもので、針葉樹林帯の中にとつぜん見られる小高い山だが、これは土中にできた巨大な霜柱が地面を押し上げることでそうなっている。最大の高さは60mをこえ、1000年以上の寿命を保ったあと最後にはつぶれて湖になる。ちょっと想像を絶する世界である。

ピンゴ。これはシベリアではなくカナダのもの。

孤独とタフガイ

調査の中で登場するシベリアの人々は誰もが魅力的だ。

  • シベリアの荒れた海に飛びこんでロープをたぐりよせ、岸に上がると差し出されたウォトカを一気に飲みほす調査船員セルゲイ
  • モスクワ大学の技官スラバ。極真空手の有段者で、射撃の名手2。酒もたばこもやらず、寒さになれるため(?)極端な薄着で過ごす。オオカミと格闘のすえ刃渡り30cmのナイフで刺し殺したことがある。
  • 気象観測所のイワン・マルコフ。シベリアの中でもとくに環境が厳しい絶海の孤島に、2年間も犬2匹と人間1人で過ごしてきた。
  • 漁師のニコライリューバ夫妻。ウクライナから、強制収容所の跡地アンバルチクに移り住んできた。廃屋だらけの河口の集落にただ一世帯だけで住んでいる。コリマ河あたりにはこうした孤独な家がいくつもあるという。

特に気になるのは極寒の地での孤独な生活をえらんだ人々のことだ。氷だらけの海に浮かぶ孤島で、毎日たった一人気象データを記録し続けるのはどのような気持ちだろう。それは諦めなのか、それとも我々のもちうる感情をこえた何かなのだろうか。

スラバについての話もおもしろく、彼はシロクマを三頭仕留めたことがあるという。前にぼくが講義をうけたことがある大学の先生が、北極探検のときに銃を持たされ「シロクマは眉間を撃たないと止まらない3」と脅されたと言っていたが、そう考えるとかなりの凄腕である。

シベリアの影

この本ではシベリアの負の歴史も紹介されている。

たとえば、シベリアには天然ガスや鉱石などの資源が多く分布しているが、これらの資源開発は永久凍土の扱いの難しさ、夏の暑さと襲いかかる蚊の大群4、冬の”極寒(マロース)5によって失敗してきた。ソ連は強制収容所の人員や鉱業都市の建設をもってこれに臨んだが、うまくはいかなかったようだ。

また、マンモスの牙についての話も何やらキナ臭くておもしろい。シベリア探検とマンモスの牙の関連は深く、たとえばヤクート人のリャーホフが漢方薬の材料6としてマンモスの牙を追い求めたことがリャホフスキー島の発見につながった。現代においても、ワシントン条約で輸出入が規制されている象牙の代替としてマンモスの牙が注目された。マンモスの牙は化石という扱いになり取引に制限はないからだ。嘘みたいなホントの話である。

こんな人におすすめ

  • 将来はシベリアを探検してみたい人
  • 寒さに強い人

  1. 永久凍土に突き刺さるように形成されるくさび型の氷。
  2. AK47でトナカイ肉を調達してくれるエピソードがある。
  3. 腕などにあたっても構わず突進してくるらしい。怖〜。眉間を撃つとそのまま脊髄にあたって倒せるらしい。
  4. シベリアには沼地のようになっている部分もあり、コンパスを落としてしまうほどの蚊の大群に襲われることもあるようだ。
  5. ぼくはこの言葉がとても好きだ。-30℃以下(-50℃程度?)のような、ロシア人にとってもたいへん厳しい寒さを意味するらしい。この表現は「蒼ざめた馬」にも出てくる。
  6. 当時「竜骨」と称されていたようだ。