「黒死館殺人事件」小栗虫太郎

青空文庫より

グレーテは栄光に輝きて殺さるべし。
オットカールは吊されて殺さるべし。
ガリベルダは逆さになりて殺さるべし。
オリガは目を覆われて殺さるべし。
旗太郎は宙に浮びて殺さるべし。
易介は挟まれて殺さるべし。

はじめに

おそるべき博引旁証

 小栗虫太郎「黒死館殺人事件」は、誰が言ったか日本三大奇書のひとつ、アンチミステリの最高峰として知られている。衒学的という評価が、ここまでふさわしい小説もそうそうないだろう。
 この小説がアンチミステリと称される理由は、これが探偵小説のかたち――殺人、名探偵の推理、解決――をとってはいるものの、かたちしか・・・・・とっていないことにあるのではないだろうか。虫太郎の叙述はまったくもって破天荒だ。被害者の心臓にナイフが突き立てられたその手口を説明するためだけに内惑星軌道半径中世ウェールス1風靡ふうびしたバルダス信経が持ち出され、ラッパーが先達にリスペクトを示すときのようなさりげなさで詩の引用合戦がおこなわれる。
 澁澤龍彥は「黒死館」について、解説文2で「キリスト教異端やオカルティズム文学の伝統の全く存在しない日本に、本格的なオカルティズム小説を打ち樹てるという、まさに空中楼閣の建設にもひとしい超人的な力業の結晶」「おそるべき博引旁証」と評しているが、まさにその通り。また澁澤は同解説文において、真犯人の名を明かすというミステリ解説における最大の禁じ手を打ってもいるが、それもむべなるかなという感がある。いい解説を書くための英断といってよいと思う。

あらすじ

 まあしかし、この小説は、読み物としてもおもしろい3。設定だけでわくわくさせられる。
あらすじをざっと見てみると、まず作品の舞台は、医学博士・降矢木算哲が夫人テレーズのために建造した「ボスフォラス4以東に唯一つしかないと云われる」ケルト・ルネサンス式の城館シャトウ、通称黒死館算哲は作品の開始時点ですでに自殺を遂げているが、そこには今でも算哲の若い息子や、算哲の秘書をしていた女、図書係りに執事、給仕長などが住んでいて、極めつけは算哲が「乳呑児ちのみごのうちに海外から連れて来て、四十余年の間館から外の空気を、一度も吸わせたことがない」弦楽四重奏団、グレーテ・ダンネベルグ、ガリバルダ・セレナ、オリガ・クリヴォフ、オットカール・レヴェズの四名である5である。文字通り門外不出のカルテット6
 そして、「準」登場人物として、算哲が亡き妻テレーズをしのんでボヘミアの名操人形マリオネット工・コペッキィ一家に作らせた“自動人形”テレーズが登場する。これもまた黒死館の重苦しい謎の雰囲気をいやが上にも高めている。
 そこに探偵・法水麟太郎のりみずりんたろうが出てきて相棒役の支倉はぜくら検事や熊城捜査局長と事件解決に乗り出すが、この法水探偵、紋章学7・心理学・医学・薬学・毒物学・数学8・音楽・犯罪学・占星術アストロジイ錬金術アルケミイ、およそあらゆる学術に精通している。なにしろ、鎮魂楽レキエムの楽譜の「Con Sordino」という指示から館の主人の墓𥥔ぼこうを探し当てたりするのだ。この衒学探偵にあきれながらも対等についていく支倉検事もなかなかの好事家である。

 さて「黒死館」では、冒頭に掲げた、6つの予告された殺人9が主要な事件となる。
「グレーテは栄光に輝きて殺さるべし。オットカールは吊されて殺さるべし。ガリベルダは逆さになりて殺さるべし。オリガは目を覆われて殺さるべし。旗太郎は宙に浮びて殺さるべし。易介は挟まれて殺さるべし。」
 算哲が遺したこの言葉を指して、図書係りの久我鎮子くがしずこは「黒死館の邪霊」と言う。
 グレーテ・ダンネベルグは、予言の通り栄光に包まれて死んだ。館の人間は、皆死んだはずの算哲の影におびえているようなところがある。すべては彼によって仕組まれたことなのだろうか。

資料

 ウェブ上で見られる黒死館についての辞典としては、素天堂氏のものがある。本記事でもいくつか参照している。また、青空文庫10で全文を読むことができる。本文中の引用も青空文庫によった。

呪術と科学

 「黒死館殺人事件」は慣れるとおもしろいが、最初のうちは読んでも何が起きているのかよくわからない、全体が神秘のヴェールに包まれているというのが正直なところだろうと思う。事件とその解決という具体性を軸とするミステリというジャンルに、真っ向から立ち向かっているとでも言えようか。
 何しろ、冒頭、支倉はぜくら検事の訪問を受けた法水が最初にしたことといえば、書斎から一抱えの書物を運んでくることだったのである。

「ゆっくりしようよ支倉君、あの日本で一番不思議な一族に殺人事件が起ったのだとしたら、どうせ一、二時間は、予備智識にかかるものと思わなけりゃならんよ。だいたい、いつぞやのケンネル殺人事件――あれでは、支那古代陶器が単なる装飾物にすぎなかった。ところが今度は、算哲博士が死蔵している、カロリング朝以来の工芸品だ。その中に、あるいはボルジアの壺がないとは云われまい。しかし、福音書の写本などは一見して判るものじゃないから……」

序篇 降矢木一族釈義

 人が死んでいるのに「ゆっくりしようよ」というのは凡百の探偵に言えるセリフではないが、全体をこのようなフレーバーが覆っているわけだ。だいたいいつでも、法水は書斎で得た知識を口にするばかりで事件の具体性にはいっこうに踏み込まないのだが、しばらく読んでいるとこれが心地よく感じられてくる。

 黒死館には実在・創作ふくめ様々な事物が登場する。特に、作品の序盤に登場するウイチグス呪法典という書物は、作品全体の魔術的な雰囲気を高めるのに役立っている。何しろ黒死館そのものがウイチグス呪法に包まれていると言っても過言ではないのだ。

「ウイチグス呪法典はいわゆる技巧呪術アート・マジックで、今日の正確科学を、呪詛じゅそと邪悪の衣で包んだものと云われているからだよ。元来ウイチグスという人は、亜剌比亜アラブ希臘ヘレニックの科学を呼称したシルヴェスター二世十三使徒の一人なんだ。ところが、無謀にもその一派は羅馬ローマ教会に大啓蒙運動を起した。で、結局十二人は異端焚殺に逢ってしまったのだが、ウイチグスのみは秘かにのがれ、この大技巧呪術書を完成したと伝えられている。……(後略)……」

序篇 降矢木一族釈義

 ここでの虫太郎の叙述は特筆に値する。ウイチグス呪法典というのは11荒唐無稽な呪術・・・・・・・とはちがっていて、「今日の正確科学を、呪詛じゅそと邪悪の衣で包んだ」ものだというハッタリがかまされているわけだ。ここには戦略がある。あのような・・・・・呪術は荒唐無稽だが、これは本物ですよ、という。呪術のフェイス・イン・ザ・ドアだ。
 黒死館古代時計室の辞典によるとウイチグス呪法典の元ネタはいまいち不明のようで、ほぼ虫太郎の創作といってよいと思う。このあたりは虫太郎の叙述力がいかんなく発揮されている。

建つはずのない建築

 言うまでもないが、黒死館という建物には虫太郎の趣味がこれでもかというほど詰め込まれている。ヨナ・フリードマン12が空中都市の建築を構想したように、さらにいえば人が楽園を夢みるように、黒死館という建築じたいが虫太郎の夢の産物といってよいと思う。黒死館は、中世趣味やペダントリーの集積された、虫太郎が遊ぶためのおもちゃ箱のようなものだ。中身は挙げればきりがないが、例えばバロック風の驚駭噴水ウォーターサプライズ、栄光の手、古代時計室、鐘鳴器、云々。

 このおもちゃ箱的傾向は、物質的な面だけではなく、学問をはじめとする抽象的な対象についても同様にあらわれている。スウェーデンボルグ神学、アインシュタインとヴァン・ジッター13の宇宙構造に関する論争、加勒底亜カルデア五芒星術。挙げればまったくきりがない。

 特に作中の黒死館の図書館には、虫太郎の嗜好がよくあらわれているように思う。「一六七六年(ストラスブルグ)版のプリニウス「万有史ナトウラリス・ヒストリア」の三十冊14」にはじまり、錬金薬学書からフィンランドの古詩まで膨大な蔵書が詰め込まれていて、これは作品の展開上必要であるという意味を超えて、虫太郎の嗜好をあらわしているように思える。このような事情は古代時計室についてもまったく同様である。

 先程ぼくはヨナ・フリードマンを持ち出したが、建築にはアンビルト建築という概念がある。アンビルト建築とは、つまりは未だ建てられていない建築のことだ。Artwords® によれば

ある時点を基準に、いまだ建てられていない/建てられることのなかった、実現以前の建築のこと。アンビルトという言葉は、ビルト(built)に対して反語的に用いられる。実現を前提に構想されたが何らかの事情で建つことのなかったものから、実現を目指さず、既存の建築やそれを取り巻く制度に対する批評あるいは刺激剤として構想される建築、あるいはその定義の曖昧なものまで、「建てられることのなかった」という出発点を共有しつつ、さまざまな可能性を含意する言葉。

Artwords「アンビルト」の項より、著者: 松原慈

だという。たとえばウラジーミル・タトリンが構想した第三インターナショナル記念塔は、実際に立つことはなかったが、後世に大きな影響を与えた。

タトリンの第三インターナショナル記念塔(1919年), Public Domain


 黒死館という建築物もまた、アンビルトであると言うことはできないだろうか。物理的なアンビルトではなく、いわば、神秘的なアンビルトとでもいったような。澁澤が言及したように、「黒死館」は虫太郎の「超人的な力業の結晶」であって、ふつうなら建たないだろうという気がするのだ。

心理遺伝と身体遺伝

 ところかわって三大奇書のもうひとつの一角「ドグラ・マグラ」は、このサイトでも紹介したことがあるが、心理遺伝による犯罪を述べた小説である。一方「黒死館」では、その神秘的なヴェールに反して、むしろ肉体的な遺伝が作品ぜんたいを貫いているといってよい。たとえば、作品冒頭で、キューダビィ家の人々が次々と不可解な死を遂げた事件の真相が「顔面右半側に起る、グプラー痲痺15の遺伝」にあったと言われている。

「黒死館」の肉体重視の傾向は法水のセリフにもあらわれている。

ハハア、貴方は下半身不随パラプレジアですね。なるほど、黒死館のすべてが内科的じゃない16

第二篇 ファウストの呪文 一、Undinus sich winden(水精ウンディヌスうねくれ)

 実は作品の核心的な部分にも遺伝の問題がある。澁澤龍彥のひそみにならってこの推理小説のネタバレをさせてもらってもバチは当たらないだろうからそうするが、実は、門外不出の弦楽四重奏団のメンバー四人というのは、実験遺伝学の実験台だったのである。
 つまりこうだ。黒死館の建築者・降矢木算哲は「頭蓋鱗様部及び顳顬窩せつじゅか17畸形者の犯罪素質遺伝説」を唱え、犯罪素質が子に遺伝することを証明するために、特定の頭蓋骨の形態をもつ刑死人の子を集めてきた18。それが弦楽四重奏団だったのである19。そして、四人を養女養子として入籍させ、遺産を争わせることで実験を完遂しようとしたのである。

 ここに「ドグラ・マグラ」で呉一郎について行われた心理遺伝の実験との類似を見ることはできないだろうか。あちらでは心理遺伝の実験、こちらでは肉体遺伝の実験だ。どちらも犯罪を扱う点では共通している。

人工的な悪文と気質的な悪文

 つぎは文体の話をしよう。澁澤龍彥は、「黒死館」の解説において虫太郎の文体を評してこう言っている。

世間には、虫太郎を悪文家と見なす意見の持主もいるようであるが、私には、どうしてもそうは思われない。悪趣味というのならば、まだ話は分るけれども、とにかく私の考えでは、意識して創り出したスタイルは、たとえどんなに佶屈聱牙きっくつごうが20の文章であろうとも、悪文の範疇には属さないのである。

小栗虫太郎『黒死館殺人事件』解説

 澁澤は虫太郎の文体の特徴として「それであるからして」「けれども」の頻出や「真逆まさかに」「……だっても」といった語彙を挙げる。彼いわく、人工的な文体を作り上げた作家というのは同じ接続詞や副詞をやたらに使いたくなる時期があるのだそうで、たとえば一時期の芥川龍之介は「のみならず」を連発しているらしい。
 虫太郎はスタイルを持った、都会的で審美的な作家といってもいいのだろう。澁澤は「神田の生まれである虫太郎は、夢野久作のような田舎者とは、おのずから人間の出来が違うのである。」とバッサリと切り捨てている。人間のできについてはくとしても、夢野久作の文体がいかにも田舎じみて土着的なことは確かである。ぼくは夢野久作の文章も大好きですが、ね。

 こういう「人工的な悪文」の話題になると、やはり蓮實重彦の名を挙げずにはおれない。逸話的に語るのも安易だとは思うが、評論「シネマの煽動装置」では、彼は、本全体を句点 “。” のないワンセンテンスで展開したこともある。人工的な文体の権威といってもいい。
 たしかにぼくも蓮實重彦の文章を悪文だとは思わない。もちろん彼の文章では前後のつながりが掴みにくかったりする部分はあるが、べつに文法を逸脱しているわけでもないし、その論理展開は明晰である。彼の文章が読みにくいと言われるのは、コンピュータに例えるなら、読み手がメモリを多く消費せざるをえないような書き方をしているから21であって、実は意味や構文の点からはそれほど文句をつけるところはないように思う。

 脱線ついでに、少し雰囲気をかえて、インターネットで見られる「人工的な悪文」の話をしたいと思う。逆噴射文体だ。
 これは逆噴射聡一郎先生がやっている文体のことで、例えばこの記事などがいい例だ。先生がどういう人なのかについてはこれを読んでもらえればいい。まあ、読んだところでよくわからないのだが。
 逆噴射先生の記事は、偏ったメキシコ像の多用なども要素のひとつだが、特に文体に限った話をさせてもらうと、あえて雑味を増やしているのが特徴といえる。なんでもひらがなにしてみたり、わざと誤字をしたり「こうゆう」と書いてみたり、ローマ字表記の英文を使ったりだ。例えばこの記事でJルーカス22の名言を紹介しているところを引用してみると、

『おれの宇宙では出るんだよ!』/ Jルーカス
これはスターウォーウズの監督であるJルーカスの有名な言葉だ。8 mileでリリックを練りながらママと一緒に暮らしていたルーカスは、うらなり野郎にHIP HOPバトルを挑まれ「あのですね、宇宙は真空だから、宇宙船の爆発音とか、射撃の音とか、出ないはずなんですけど!!!」とかつっこまれたが、ルーカスはすかさずこのようなパンチラインで答え、オーディエンスはすごい沸いたとゆわれている。

パルプ小説の書き方(12):「宇宙空間でも爆発音はする」 (逆噴射聡一郎)

といった調子である。
 しかしこの逆噴射文体でさえ、澁澤の基準にしたがえば悪文ではない。人工的に作っているからだ。もちろん逆噴射聡一郎先生はこういう文章を気質的に書いてしまうのだという可能性もあるが、これには、逆噴射文体は「文章によるロウブロウ・アート」だと書いてあるから意識してやっているのだと思う。
 ぼくも逆噴射文体を模倣してひとつ記事を書いてみたことがあるが、最初の数行での離脱率がめちゃくちゃ高そうだという点を除けば、書きやすいし、ふだんは恥ずかしくて書かないようなことも率直に書くことができて、わりと使いやすい文体だと感じた。

 さて、「悪文」とはけっきょくどういう文章のことなのだろうか? 澁澤が真に「悪文」だとするのは、「たとえば室生犀星の文章のように、気質に密着して離れられない文章」である。
 ぼくがこのような(愛すべき)「悪文」として挙げたいのはプログラマの書く文章全般だ。多くのプログラマは文筆家のように細部の表現にまで手の行き届いた文章を書く訓練を受けてはいないが23、論理的に物事を記述する訓練は(そう、日々のプログラミングのなかで)受けているため、スタイルの面でまずさはあるものの論理的には完璧に首尾一貫した文章を書くというひとが多い。この落差にはけっこう味わいがあると思う。こういった文章は、澁澤が述べたものの例になっているのではないか。

腕力アンチミステリ

 また、この作品で読者の目につくのはもちろん文体だけではない。展開の強引さもまた「黒死館」っぽさのひとつであろう。たとえば、「私服24」「召使バトラー」の扱いの適当さがそれだ。「私服」や「召使バトラー」は、捜査の手助けのためにしばしば登場するが、「まるで歌舞伎の黒子25」のようにふだんはその姿を隠している。黒死館にはどうやら大量の「私服」や「召使バトラー」がいるようなのだが、法水が不空羂索神変真言経ふくうけんじゃくじんべんしんごんぎょうについて論じたり、詩歌の引用で館の住人を追い詰めたりしているときは、彼らは息をひそめている。彼らが衒学的闘争に参加することはない。
 逆に見ると、「私服」や「召使バトラー」以外の人間は誰も彼もが法水麟太郎と同程度の知識をもっていて、会話が成立する、というのもおかしいわけだ。いくら黒死館とはいえこんな異常な知識量の人間が5人も6人もいてはたまらない。虫太郎がやりたいことをやるために、あえてリアリティを犠牲にしていると言えよう。
 「黒死館」においては、いわば黒死館そのものが主役であって、探偵法水やその他の名のある登場人物は脇役にすぎないし、「私服」や「召使バトラー」は黒子である、というような気がする。いや、脇役とか黒子といった言い方さえ適当ではなくて、法水麟太郎や支倉検事、館の(名前のある)人間というのも、作者・虫太郎の夢を語るための装置にすぎない、館の一部にすぎないのかもしれない。

 作品の価値が落ちるわけではないのでべつにいいのだが、私服や召使バトラーの扱いだけでなく、言い出すとこういうテキトーなところはいくらでもある。ひとつ挙げておくと、そもそも法水の推理じたいが行きあたりばったりといって差し支えないのだ。
 作中、法水は抽象的な推理で犯人を指摘していくが、一度は真犯人に迫るものの、けっきょくはオリガ・クリヴォフを犯人として名指す。しかしそのクリヴォフは狙撃されて、結局は被疑者から外れてしまうのである。
 まあ、明快な犯人の指摘が見たいのであれば本格ミステリの数々を読めばよく、読者はアンチミステリを求めて「黒死館」を読むのだから、このあたりも虫太郎の面目躍如といったところだろうか。腕力、腕力。

おわりに

不在証明アリバイ、採証、検出——もうそんなものは、維納ウインナ第四学派26以後の捜査法では意味はない。心理分析プシヒョアナリーゼだ。犯人の神経病的天性を探ることと、その狂言の世界を一つの心像鏡として観察する——その二点に尽きる。ねえ支倉君、心像ゼーレは広い一つの国じゃないか。それは混沌ダス・カーオスでもあり、またほんの作りものヌール・キュンストリッヘスでもあるのだ」

第五篇 第三の惨劇 一、犯人の名は、リュッツェン役の戦歿者中に

自分なりの「黒死館」の楽しみ方を書いていたらずいぶんと長くなってしまった。「後期クイーン問題と黒死館殺人事件」などの話もしてみたかったが、今はもうそうしている時間がない。

  1. 現代ではウェールズと表記しますね。実際にWalesの発音を聞いてみるとどちらの転写がいいかはけっこう微妙。
  2. 69・12、桃源社版初出。河出文庫版にも収録されている。
  3. 慣れれば、の話だけども。
  4. トルコのヨーロッパ側とアジア側を隔てる海峡。
  5. 順に第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ。レヴェズだけが男性。
  6. 作中ではこのような神秘楽人の例として、「マンハイム選挙侯カアル・テオドル」が仮面をつけた6人の楽師を養成していたことがあるとされている。カール・テオドールが宮廷楽団を持っていた事実はあるようだが、果たして。
  7. 作中には寺門義道「紋章学秘録」という本が登場するが、おそらくは虫太郎の創作か。
  8. ちなみに、作中にはヒルベルトの名が出てくる。
  9. 「黒死館」を見立て殺人ものと呼んでもいいのかもしれないが、他の要素が多すぎてそう言われることはすくないような気がする。
  10. 青空文庫版の底本は「小栗虫太郎傑作選1 黒死館殺人事件」現代教養文庫、社会思想社 だが、ぼくが愛読しているのは河出文庫から出ているもので、それは「探偵小説名作全集7・小栗虫太郎集」を底本としている。河出文庫のほうが青空文庫よりも古めかしい言葉づかいになっていて格調高い感じがする。
  11. 例えば藁人形に五寸釘を打ち込むような
  12. ハンガリー生まれのフランス人建築家。(Wikipedia)
  13. アインシュタインと関係があるジッターといえばウィレム・ド・ジッターしか居るまいが、詳細不明。
  14. 現代では「博物誌」と訳すのが一般的。当時知られていたことを集めたものだが、ペガサスとかユニコーンとかがふつうに載っている。ウソも含めて楽しむのが吉。
  15. Millard-Gubler症候群というものがあるがこれは遺伝病ではないようである。(cf. http://klio.icurus.jp/kck-dic/dic_dic/ku04.html#ku04-9)
  16. このセリフ、「黒死館にある任意のものは内科的ではないものだ」なのか、「黒死館には内科的ではないものも存在する」という意味なのかはっきりしない。
  17. 顳顬はこめかみのこと。
  18. 紐育ニューヨクエルマイラ監獄で刑死を遂げた、猶太人ジュウ伊太利人ディエゴなどの移住民エミグラント」が彼らの父であるという
  19. 簡潔のためにこうまとめたが、実際はオリガ・クリヴォフだけは頭蓋骨の畸形をもっていない。
  20. 文章がなめらかでなく、字句が難解で読みにくいこと。(精選版 日本国語大辞典)
  21. 雑な言い方をすると、頭のいい読み手を想定しているということ。
  22. この「Jルーカス」っていうのがすでに逆噴射文体だ。
  23. そういう類の文章を書く必要はないのだから当然である。
  24. 私服警官の意であろう。
  25. 河出文庫版の細谷正充氏の解説より引用。
  26. 心理学におけるウィーン学派とは、フロイトを第一、アドラーを第二とし、「夜と霧」で有名なフランクルが創始したものを第三とする。第四学派とは虫太郎の造語の可能性が高いらしい。(cf. http://klio.icurus.jp/kck-dic/dic_dic/u01.html#u01-6)