はじめに
ことわるまでもないが、この文章はドグラ・マグラの完全な解説1ではなく、むしろ読者に対する案内を意図したものである。「読破したものは必ず精神に異常をきたす奇書?挑戦してみたい!」「読んでみたがチャカポコにやられた」というひとの助けになれば幸い。ちなみにぼくは3〜4回通読しましたが精神に異常をきたしておりません。
ちなみに、ドグラ・マグラは青空文庫に収録されているので参考にしてほしい。本文の引用もすべてこれによった。青空文庫はCtrl + Fが使えるので記事の執筆がかなり楽になった。ここで感謝の意を表したいと思う。
目次
- 非−あらすじ
- どういう構造になっているのか
- どこが難所か
- 結局どういう話なのか
- ここがヘンだよドグラ・マグラ
- 映画版
- サーベイ
非−あらすじ
ひとまず、あらすじ(みたいなもの)を紹介することにしよう。ネタバレも含まれているが、ネタバレしてみたところで何もわからないので未読者も安心してほしい。
「私」は九州帝国大学精神病科七号室でブウウ――ンンン――ンンンンという柱時計の音で目を覚ますが、記憶喪失になっており、自分の名前すら覚えていない。そこに、コンクリート壁のむこうから「お兄さま。お兄さま。お兄さま。お兄さま。お兄さま。お兄さま。……」という少女の声が聞こえてくる。少女モヨ子2は「私」の許嫁で、結婚式を挙げる前の晩に「私」の手にかかって死んでしまったと主張する。
(どうやらこのことは、呉一郎という青年が起こした悽愴を極める殺人事件と関係があるらしい。精神科学応用の犯罪。)
わけのわからない「私」の前に、身長六尺・面長の医学部長若林鏡太郎があらわれる。若林博士はどこか気味の悪い人物で、「私」が自分の名前を思い出すことが亡くなった正木敬之博士の人生を賭けた研究を完成させることになるのだ、と言う。
(「私」は呉一郎なのか?それとも違うのか?と混乱におちいる。)
「私」は自分の記憶をとりもどすため、若林博士に連れられて正木博士が使っていた研究室で資料や標本をつぎつぎと見せられる。その資料の中には「ドグラ・マグラ」という文章も含まれており、それは「この附属病室に収容されております一人の若い大学生の患者が、一気呵成に書上げ」たもので……
などとやっているうちに、「私」は正木博士の遺稿にたどりつき、それを読み進めていくことになる。その遺稿には精神病者虐待の実情を歌った「キチガイ地獄外道祭文」、「地球表面上は狂人の一大解放治療場」なる新聞記事、論文「胎児の夢」、正木博士の遺言書、などが含まれていて……。
どういう構造になっているのか
さて、この小説は構造がややこしいため、話の構成を整理したいと前々から思っていた。以下にぼくが作成したものを紹介しよう。
- 病室〜正木博士の研究室
- 「キチガイ地獄外道祭文」
- 「地球表面上は狂人の一大解放治療場」
- 「絶対探偵小説
脳髄は物を考える処に非ず」 - 「胎児の夢」
- 「空前絶後の遺言書」
- 映画
- 映写幕上の正木博士
- 呉一郎、狂人解放治療場に於て撮影
- 屍体解剖室内の奇怪事
- 正木若林両博士の会見
- 呉一郎の発作顛末
- 第一回の発作
- 呉一郎の談話
- 呉一郎伯母八代子の談話
- 松村マツ子女史談
- 右に関するW氏の意見摘要
- 右に関する精神科学的観察
- 第二回の発作
- 戸倉仙五郎の談話
- 青黛山如月寺縁起
- 野見山法倫氏談話
- 呉八代子の談話概要
- 第一回の発作
- 映画
- 正木博士登場〜エンディング
どこが難所か
チャカポコ
最初と最後のところ(1.と7.)はふつうの小説として書かれているのでまあ問題はない。2.〜6.は書簡体というべきか、「私」が読んでいる論文やら新聞記事がそのまま挿入されているので、因果・時系列が混乱しやすい3。特に「キチガイ地獄外道祭文」はドグラ・マグラにチャレンジする若者の出鼻をくじく箇所として有名である。通称チャカポコパート、
▼ああア――アア――あああ。右や左の御方様へ。旦那御新造、紳士や淑女、お年寄がた、お若いお方。お立ち会い衆の皆さん諸君。トントその後は御無沙汰ばっかり。なぞと云うたらビックリなさる。なさる筈だよ三千世界が。出来ぬ前から御無沙汰続きじゃ。きょうが初めてこの道傍に。まかり出でたるキチガイ坊主……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
といった調子の歌のようなお経のような文がつづく難所である。だが、よくよく読んでみるとリズム的にかなり練られていて、ノることさえできればスイスイ読み進めていくことができるはずだ。波に乗ろう。海の境界を探すな。お前はそれを手にする4。
映画
正木博士の遺言書は複雑で、遺言書の中で映画の上映がはじまってしまったりするし、あまつさえスクリーンの外の正木博士と中の正木博士、どっちが本物か……なんて言いはじめる。映画を見せられているとついつい自分が遺言書を読んでいる最中だということを忘れてしまうが、上の表を参考に気持ちを強く持とう。
青黛山如月寺縁起
このセクションは擬古文というか漢文書き下し調というか、古めかしい文体で書かれている。こういうところ昔の作家は素養があるなあと思うが、読みにくいのは事実である。あらすじを頭に入れた上で気合で読み進めていこう。
ここでいう「縁起」とは、社寺(ここでは如月寺)の由来を書いた文章のことだ。あらすじとしては虹汀という旅の僧侶が切った張ったの末に如月寺の住職になるといった感じで、文体に慣れるとけっこうおもしろい。
結局どういう話なのか
さて、このドグラ・マグラという小説、けっきょくどういう話なのか。物語のなかでさまざまな矛盾する解釈が提示されていることから、この問題にこたえることは原理的に不可能であるが、いくつかの解釈を提示してみよう。
なんとなくそれっぽい解釈
……どうだい面白いだろう。心理遺伝が恐ろしいように肉体の遺伝も恐ろしいものなんだ。姪の浜の一農家の娘、呉モヨ子の眼鼻立ちが、今から一千百余年前、唐の玄宗皇帝の御代に大評判であった花清宮裡の双蛺姉妹に生き写しなんていう事は、造化の神でも忘れているだろうじゃないか
細部の矛盾はおくとして、素直に読めばこういう小説なんじゃない?という解釈は以下のようになるだろう。
この小説の核心は、心理遺伝による犯罪が実行可能か?という問題だ。心理遺伝とは要するに先祖の衝撃的な記憶の遺伝であって、子孫は何らかのトリガーによって先祖返りの発作をおこすことがある。作中にはさまざまな心理遺伝の実例が登場するが、その中でも特に強烈なのが呉一郎が属する呉家につたわる心理遺伝である。
話は唐の玄宗皇帝の御代にさかのぼるが、呉青秀という画家が玄宗皇帝の放蕩を諌めるために、美人の腐敗画像を白骨になるまで写生し、肉体のはかなさを見せつけようとした5。そこで妻を合意のうえで殺害して死体画のモデルにしようとしたのだが、思いのほか死体の腐敗がはやく、予定の半分も描きあげないうちに妻は白骨となってしまった。そこで呉青秀は精神に異常をきたし、モデルとなる娘を拐ってくるように……。
この後、紆余曲折をへて呉青秀の血筋は日本へと渡っていくことになる。そして、呉青秀が死体画を描きだしているときのなんともいえない欲望の噴出――
……その死美人の腐敗して行く姿を、次から次へと丹念に写して行くうちに呉青秀は、何ともいえない快感を受け初めたのだ。画像の初めから終りへかけて、次から次へと細かく冴えて行っているその筆致を見てもわかる。人体という最高の自然美……色と形との、透きとおる程に洗練された純美な調和を表現している美人の剥き身が、少しずつ少しずつ明るみを失って、仄暗く、気味わるく変化して、遂には浅ましく爛れ破れて、見る見る乱脈な凄惨たらしい姿に陥って行く、その間に表現れて来る色と、形との無量無辺の変化と、推移は、殆ど形容に絶した驚異的な観物であったろうと思われる。その間に千万無量に味われる『美の滅亡』の交響楽を眼の前に眺めつつ、静かに紙の上に写して行く心持は、とても一国の衰亡史を記録する歴史家の感想なぞとは比較にならなかったろうと思われる。
――は、呉一族の男子に心理遺伝した。どういうことかというと、呉一族の男子は、呉青秀が描きあらわしたこの巻物を見せられると正気をうしない、女でさえあればその者を殺すようになってしまうのだ。
残酷な言い方になるが、これは正木博士と(若かりしころの)若林博士の研究の材料として好適であった。呉家の末裔である千世子に子供を産ませて、その子に絵巻物を見せればそれは理論の実証になる。この経緯はWとMというあきらかに若林博士と正木博士と見てとれるイニシャルを用いて語られており、その子供IというのがWとMどちらの子供であるのかもはっきりしない。
しかし、ひとつの証拠として、絵巻物の最後に書かれた文字がある。
子を思ふ心の暗も照しませ
ひらけ行く世の智慧のみ光り
明治四十年十一月二十六日
福岡にて 正木一郎母 千世子
正木敬之様 みもとに
この記述を信じてよいとすれば、千世子が産んだ子供の父親は正木博士であり、彼こそが呪われるべき者であるということになる。
この解釈の最大の問題点は、本編中でも述べられているが、けっきょく「私」の素性があきらかになっていないということである。呉一郎についてはいろいろなことが述べられているが、それと「私」の関係はわからない。
無限ループ説
この説は作中でしばしば示唆される。中心となっているのはこの場合若林博士である。いちばん最初にこれが示唆されるところは、目を覚ました「私」が床屋に髪を刈ってもらうシーンだ。
「この前の通りの刈方で、およろしいので……」
この質問を聞くと若林博士は、何やらハッとしたらしかった。チラリと私の顔を盗み見たようであったが、間もなく去り気ない口調で答えた。
「あ。この前の時も君にお願いしたんでしたっけね。記憶しておりますか。あの時の刈方を……」
「私」が、同じような行動をなんども繰り返させられているのではないかということがここで示唆される。
この解釈においてまた問題にされるのは「今日」の日付である。若林博士は
今日は大正十五年の十一月二十日ですから……
と述べ、正木博士が自殺したのは大正十五年の十月十九日であるというが、一方で正木博士は本編に生きているかのように登場し、
いいかい。改めて云っておくが、今日は大正十五年の十月二十日だよ。いいかい。もう一度、繰り返して云っておく。きょうは大正十五年の十月二十日……
と言っている。つまりは、若林・正木両博士の発言は矛盾している。無限ループ説は、正木博士の「今日は十月二十日」という発言が事実ではないとしたときに出てくる解釈だ。この場合、若林博士は繰り返し実験を行っている可能性もあり、「十一月二十日」という日付がどこまで信用できるかということさえ定かではない。じっさいに「私」は本文のなかで
……若林博士は、そうした私の頭を実験するために、一箇月前と同じ手順を繰り返しつつ、私をこの室に連れ込んだものに違いない。そうして多分一箇月前もそうしたであろう通りに、どこからか私を監視していて、私の夢遊状態の一挙一動を細大洩らさず記録しているに違いない……否々……否々……きょうは、大正十五年の十一月二十日、と云った若林博士の言葉までも嘘だとすれば、私はもっともっと前から……ホントウの「大正十五年の十月二十日」以来、何度も何度も数限りなく、同じ夢遊状態を繰り返させられている事になるではないか……そうしてその一挙一動を記録に残されている事になるではないか………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
という解釈を述べている。
逆に、正木博士が言っていることを信用した場合の解釈は前節で述べた「なんとなくそれっぽい解釈」に近いものとなると思う。
一瞬間に見た夢
「ドグラ・マグラ」という作品全体が泡沫の夢にすぎない、という解釈はある意味でもっとも有力である。「ドグラ・マグラ」の作中には「ドグラ・マグラ」という小説が登場するが、作中作「ドグラ・マグラ」の解説として若林博士がその旨を述べているからだ。
……というのは、それ等の出来事の一切合財が、とりも直さず、只一点の時計の音を、或る真夜中に聞いた精神病者が、ハッとした一瞬間に見た夢に過ぎない。しかも、その一瞬間に見た夢の内容が、実際は二十何時間の長さに感じられたので、これを学理的に説明すると、最初と、最終の二つの時計の音は、真実のところ、同じ時計の、同じ唯一つの時鐘の音であり得る……
これは作品の冒頭に近いところで登場する文だが、ここにおいてすでに、「ドグラ・マグラ」は…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………という時計の音ではじまり、……ブウウウ…………ンン…………ンンン…………という時計の音でおわることが示唆される6。
余談だが、ドグラ・マグラという作品名の由来について作中では「切支丹伴天連の使う幻魔術のことをいった長崎地方の方言」であり、「堂廻目眩」「戸惑面喰」という字をあててドグラ・マグラと読ませてもよいと紹介されている。なかなか味のある当て字だ。
胎児の夢
「胎児の夢」というのは正木博士の卒業論文で、その内容はおおむね、胎児が胎内で進化の過程を追体験するというものだ。どういうことかというと、細胞ひとつひとつの記憶力によって、胎児は先祖が体験した生存競争や自然淘汰の苦しみを夢に見るのである。
「ドグラ・マグラ」そのものがこの胎児の夢であるという見方もあり、それは、
……何もかもが胎児の夢なんだ……あの少女の叫び声も……この暗い天井も……あの窓の日の光も……否々……今日中の出来事はみんなそうなんだ……。
……俺はまだ母親の胎内に居るのだ。こんな恐ろしい「胎児の夢」を見て藻掻き苦しんでいるのだ……。
……そうしてこれから生れ出ると同時に大勢の人を片ッ端から呪い殺そうとしているのだ……。
……しかしまだ誰も、そんな事は知らないのだ……ただ俺のモノスゴイ胎動を、母親が感じているだけなのだ。
と、「私」によってあからさまな形で述べられている。
公式(?)の解釈
さて、実はドグラ・マグラという小説の意図については夢野久作の息子・杉山龍丸の証言がある。ここに引用しよう。
この初版本を私に渡すとき、彼はこう云った。
東京創元社刊・日本探偵小説全集4 夢野久作集
「龍丸、とうとう俺は、世界一の長編探偵小説を書くことができた。おそらく、世界の傑作となるだろう」
私はたしか、丸二日間、この本に没頭した。三回くらいは読み返したろう。
「お父さま、判ったよ。初めのブーンから終わりのブーンまで自分という人間が何であるかということを書いたもんじゃろう。二重、三重、いろいろのものにとらわれている人間というもの、人間の意識、そのとらわれているものを除いての人間とは何か、が書いてあるとじゃろう」
こう云うと、夢野久作は
「なんや、おまえも判ったか?」
と、がっかりしている。
「お父さま、それでも、この阿呆陀羅経は長すぎるよ」
と云うと、母が、
「お父さまの小説は、一般の読者が泣いたり笑ったりするものでない、理屈の多かっちゃん」
と云うのを聞いて、閉口したような顔で立っていた父の姿が、今も眼に残っている。
まあ言われてみたらこんなものかとも思うが、とんでもない親子である。
ここがヘンだよドグラ・マグラ
怪奇!グズグズちぢむ若林博士
ドグラ・マグラのよくわからないシーンとして、グズグズ縮みこんでいく若林博士というのがある。割と最初のほうに出てくるが、とにかくよくわからないシーンなので読者は強烈な印象をうけるにちがいない。
初め、その籐椅子が、若林博士の背後に据えてあるのを見た時には、すこし大きな人が腰をかけたら、すぐにも潰れそうに見えたので、まだほかに誰か、女の人でも来るのか知らん……くらいに考えていた。ところが今見ていると、若林博士の長大な胴体は、その椅子の狭い肘掛けの間に、何の苦もなくスッポリと這入った。そうして胸と、腹とを二重に折り畳んで、ハンカチから眼ばかり出した顔を、膝小僧に乗っかる位低くして来ると、さながらに……私が、その怪事件の裏面に潜む怪魔人で御座います……というかのように、グズグズと縮こまって、チョコナンと椅子の中に納まってしまった。その全体の大きさは、どう見ても今までの半分ぐらいしかないので、どんなに瘠こけているにしても……その外套の毛皮が如何に薄いものであるにしても、とても尋常な人間の出来る芸当とは思えない。
若林博士が異常なぐらいにグズグズと縮んで椅子の中に収まってしまう。人によってはこれを若林博士非実在説、若林博士=正木博士説(!)の証拠として挙げる。いや、たしかに正木博士は小男だけども。首がストンと落ちるマジックみたいになってるってこと?
「夢野久作の世界」ではWとMの(シンボルとしての)反転関係についても議論されているらしい。駄洒落めいているがWをひっくり返したらMになるということだ。若林博士と正木博士の対照的な性格や体格をこれによって捉えようとしているらしい。また、これをW→mの反転として捉える試みもあるようだ。
なぜ千世子は呉一郎の父親をしっていたのか
WとM、どちらが千世子の子供の父親なのか、ということはこの作品の核心であるが、はたして千世子に子供の父親が確定できるのだろうか。
千世子が子供の父親を証言でき、WとMはそれを知らない、ということが千世子に死をもたらした。唯一の証人として口を封じられたわけである。しかし、千世子が父親を確定できるのは
- WとM、それぞれと性交渉をもった期間が相当にはなれている
- WとMのうち片方としか性交していない(またはそれに類する)
場合に限られるはずだ。これらの情報はWとMも知り得ることだから、二人が右往左往しているのは妙なことに思える。Wがサッサと「血液型による親子の鑑別法」を使ってしまえばいいのになあ。
もちろんWとM以外が父親であるということもないわけではなくて、これは父親という存在の悲しさを象徴的に示している。母親には出産という明らかな証拠があるが父親にはなにもない。母子の運命を握る絶対の父を気取ってみたところで、それは虚しいようにも思える。
映画版
ドグラ・マグラは1988年に松本俊夫により映画化されている。正木博士 = 桂枝雀、若林博士 = 室田日出男、呉一郎 = 松田洋治7という納得感のあるキャスティングで、ストーリーも小説のあらすじがだいたい追えるようにうまくまとめ上げていて素晴らしい。これ以上の映画化はちょっと望めないだろう。
桂枝雀の怪演についてはさまざまなところで言及されているが、ぼくは室田日出男の演技も良かったと思う。悪役のイメージがつよく、線の細い感じの若林博士にはそぐわないと思う人もいるだろうが、ぼくにとっては若林博士といったらあの精悍な髭面なのだ。
これを大学の授業(田畑暁生先生)で、VHSで見せてもらったことはドグラ・マグラに関するぼくの思い出のひとつだ。友人を誘って最前列で観たのを覚えている。
あと、前に下鴨神社の古本市でこれのパンフレットを見かけたので購入したが、インタビューやシナリオ再録が参考になった。特に荒俣宏のところはいい。
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