「ホワイト・ライト」ルーディ・ラッカー

ホワイト・ライト (ハヤカワ文庫SF)

はじめに

「ホワイト・ライト」はなんだかとんでもない小説である。主な題材となっているのは無限の概念で、その中でも特に連続体仮説が取り扱われている。これは、集合論という分野そのものの成立に深くかかわっており、集合論1の王道に位置する(していた?)命題だ。連続体仮説でひとつ小説を書き上げることなんてできるのだろうか。それがどうやらできてしまったらしい。

作者のルーディ・ラッカーは数学者2。いろいろな大学で数学やコンピュータ・サイエンスを教えていたらしく、この小説はハイデルベルグ大学に招聘中に書かれたものだ3

これより先、無限大

興奮に身震いしながら、ぼくは草を一枚、空にかざしてみる。全長のなかばで、二枚の葉身ようしんに分かれている。次に、それぞれの葉身が二枚の葉身に分岐する。それが分岐に分岐を繰り返していく。頭をひと働きさせて、ぼくには全体の無限の構造が呑みこめた。なるほど、草に弾力があるわけだ。

p104

この小説のストーリーはけっこうラリっているが、要約すると「数学者フィーリクス・レイマンが幽体離脱して、夢の国で無限の階層を旅していく」という話である。たぶん。夢の国では無限はごく現実的なものだ。作中世界に登場する無限の例を見てみよう。

無限ホテル

HOTEL EUROSTARS MADRID TOWER

作中でフィーリクスは、無限4にたくさんの階があるホテルに出会う。ホテルの高さは200フィートしかないが、どんどん天井が低くなっているためつねにホテルの残りの高さの1/20しか使うことができない。いつでも19階分の余裕があるということだ。おわかりの通り、これはヒルベルトの無限ホテルの一種である。

また、このホテルには屋根がない。なぜかというと、どの階にもその上の階があって屋根の役割を果たすからだ。日ごろ無限を扱わない人には奇妙に聞こえるかもしれないが、これは無限の世界ではごく常識的な話である。

ちょっとした問題

さて、あなたが無限ホテルのフロント係だとしよう。いま無限ホテルは無限にたくさんの客で満室になっている5。ここに一人の客がやってきたとしよう。ふつうのホテルなら宿泊をお断りしなければいけないが、無限ホテルはちがう。

今泊まっている客にお願いして、1号室の客は2号室へと、2号室の客は3号室へと、3号室の客は4号室へと、……つぎつぎ部屋を移ってもらえばよい。そうすると1号室は空くので、そこに新しい客を泊めることができる。

ここで「満室だったのに部屋を移動したぐらいで空室が出るのはおかしい」と思う人もいるかもしれない。だがそう思うなら、あなたは1号室→2号室、2号室→3号室、3号室→4号室、……という無限個の移動6のどれかがうまくいかないことを示さなければいけない。これがうまくいけば1号室が空室になることは明らかであろう。

では、無限人78の客がやってきたらどうしたらいいだろうか。

標準的な解答はこうだ。今泊まっている客にお願いして、1号室の客は2号室へと、2号室の客は4号室へと、3号室の客は6号室へと、……つぎつぎ部屋を移ってもらう。そうすると奇数号室がすべて空くので、そこに無限人の客を泊めることができる。

でかいバス。

もっと極悪なグループ宿泊客も考えられる。たとえば、無限人の乗客を乗せた観光バス無限台でやってくるとか9。これは「……「「「「無限人の乗客を乗せた観光バスが無限大やってくる」というイベントが無限回ある」というイベントが無限回ある」が……」とするとどんどん強くしていくことができる10。無限ホテルのフロント係は、このようなハチャメチャな来客に対して今泊まっているお客様にどう部屋を移動してもらえばよいか日々頭を悩ませていることだろう11

ちなみに、某うさぎさんとこれについて話したとき、ぼくが「無限ホテルのフロント係は職にあぶれた集合論者の就職先としていいんじゃないか」という旨のことを言ったら「無限ホテルは一軒しか要らないからフロント係も一人しか要らないんじゃ?」と言われた。たしかに無限人泊まれるもんなあ。チェックアウト時に大混乱が起きるんじゃないか、エレベータは何台あればいいのか、など、無限ホテルについてのくだらない話題は尽きない。

「フィーリクス・レイマンの諸生涯」

次に紹介するのは、主人公フィーリクスの人生を過去から未来まですべて――平行世界にまでわたって――記述した書物「フィーリクス・レイマンの諸生涯」だ。この本は、読もうとしてもページをうまくめくることができず、自分が読んでいる真ん中の1ページの左側にも右側にもページの山が尽きない12

この本の「ページ数」はいったいどうなっているのだろうか。作中では以下のように示唆されている。

左手には、前のページというものがない。そちらのページはちょっと透明のようになっていて、いくら試してみても、最後の1ページを剥がすことができそうもない。1より小さくて最大の実数・・・・・・・・・・・・を求めようとするようなものだ。

p144, 強調は引用者による。

つまりこの本のページは実数のようにみっしりと並んでいるということだ。10.9の間には0.99があって、0.991の間には0.999があって、……というように、どこまでいっても1より小さくて最大の実数というのは求めることができない。実はこの説明は嘘で、これは稠密性の説明であって連続性の説明にはなっていない。稠密性だけでいうなら有理数もまた稠密である。この本のページ数が実数のようになっているということは、「1ページだけを剥がすことができない」ことを合わせて考えるとわかる。

追記:

ここでの連続性の説明がよくないのではないかというご指摘を受けた。

どうもここでは著者(ルーディ・ラッカー)の描写に抜けがある気がしてならない。この本には\(\mathfrak c\)ページあるという根拠となるシーンは、上で引用したほかにもうひとつこれがある。

本を勝手に開かせるたび、まんなかの一ページだけが読め、そこがページの山ふたつのあいだで孤立している。ページは線分上の点のように、びっしり並んでいる。”c”のページがあるのだ。

p144

これらの描写から、「稠密っぽい」「びっしり並んでいる感じがする」という以外の(なにか数学的に意味のある)情報を取り出せるのかぼくにはよくわからない。誰か教えてください。

アレフ・ヌル、それと “c”

ホテルと本、ふたつのエピソードを紹介した。これらふたつの話に出てきた「無限」は、実はその種類を異にする。ホテルのほうの無限は、一階、二階、……と数えることができる無限なのに対して、本のほうの無限はミチミチに詰まっていていて切り離せない。素朴にいえば、後者のほうが”大きな”無限なのである。

無限の大小は、濃度という尺度を用いて表される13。前者のように、ひとつひとつ数えていくことで到達できる無限は可算(countable)な濃度を持ち、後者のようにみっしりと詰まっている無限は非可算な濃度、連続体濃度を持つ。連続体濃度は、しばしば記号\( \mathfrak c\)を用いて表される14。また、先ほどかんたんに説明したが、可算濃度 < 連続体濃度である15

いま無限にも種類があることを述べたが、種類は2つだけではなくもっとたくさんあって、”背の順”で一列に並べることができる。整列された無限16の濃度を表すにはアレフ数17

$$\aleph_{0}, \aleph_{1}, \aleph_{2}, \dots$$

が用いられる。アレフ数の列は、素朴には無限を弱いほうから順番に並べたものだといえる。

さて、無限が可算であるということは濃度でいうと\(\aleph_{0}\)に相当する。では、\(\mathfrak c\)はどれにあたるのだろうか。この問題こそが本書の主題となる連続体仮説Continuum Hypothesisである。

連続体仮説

G. カントールの顔写真。
カントール先生。晩年は精神を病む。

連続体仮説(Continuum Hypothesis, CH)は、集合論の創始者にして本書「ホワイト・ライト」の登場人物18でもあるG. Cantor(カントール)によって提唱された19。その主張を言い直すと以下のようになる;

(CH) \(\mathfrak c = \aleph_{1}\)である。

Cantor自身は連続体仮説を信じていた20が、ついに証明することはできなかった。これを証明したのは2人の数学者たちだった。まずGödelが1938年に

ZFC21が無矛盾ならば、それに連続体仮説を付け加えたものは無矛盾

であることを示し22、一方ではCohenが1963年に強制法23を用いて

ZFCが無矛盾ならば、それに連続体仮説の否定・・を付け加えたものは無矛盾

であることを示した24。これらの結果から、連続体仮説はZFC25からは証明も反証もできないことがわかる。

これが意味するところは、連続体仮説が成り立つような世界を考えることもできればそうでない世界を考えることもできるということだ。たとえばTodorčevićによって

Proper Forcing Axiomを仮定すると\(\mathfrak c = \aleph_{2}\)

が示されている。Woodin26も\(\mathfrak c = \aleph_{2}\)と考えていたが27、Ultimate Lがどうちゃらで最近は鞍替えしたらしい。Shelah28やBrendle先生はまた異なった考えを持っているようだが、ぼくはこの辺の事情に通じていないので詳しい人がいたらまた教えてください。

連続体と物理

「アイディアとしては、わたしの一八八五年の論文に発するんだ」

カントルが何気ない調子でそう言い、

「質量とエーテルに加えて、第三の基本的な物質があるなら、”c”には少なくともアレフ=ツーの濃度があることがわかる。……(後略)」

カントール(登場人物)の弁

さて、本書中で(登場人物の)カントールが示唆する連続体仮説の”証明”は、数学的なものではない・・・・。彼のアイデアはこうだ。通常の物質は\(\aleph_{0}\)個の点から成り立っている。エーテル29は\(\aleph_{1}\)個の点から成り立っている。そこで、さらなる基本物質を発見できるならば――連続体濃度は\(\aleph_{2}\)でありうる。

まあ荒唐無稽といってもさしつかえない話だが、「連続」が物理的な概念だというのは示唆的である。数学において数を構成するとき、ふつうは自然数からはじめて整数、有理数、と拡張していき、最後に実数すなわち連続的なものにたどりつく。しかし現実にはまず連続的なものが(実在からの所与のものとして)あって、人間がそこから離散的な自然数を取り出すのかも知れない30

1885年の論文って?

ところで、本書がいう「カントールの1885年の論文」には本当にこんな内容が書いてあるのだろうか。カントールが1885年に出した論文はいくつかあるので西暦だけでは論文を特定できないが、これはおそらく「Über verschiedene Theoreme aus der Theorie der Punctmengen in einem n-fach ausgedehnten stetigen Raume Gn: Zweite Mittheilung」のことだと思われる。ぼくはあいにくドイツ語ができないのでこの論文の内容を精査することができない。誰かやってくださいAether(エーテル)という単語はところどころに出てきている。

こんな人におすすめ

  • 俺は絶対無限を見たことがあるという人
  • 暇で仕方がない集合論者
  1. これ以降の記述すべてに言えることですが、ぼくは集合論をまったく知らないので間違ってたら教えてください。
  2. 連続体仮説について小説を書く人が数学者じゃなかったらヤバいという話もある。
  3. Wikipedia情報だが、本人のウェブサイトでWikipediaの自分の記事を参照していたのであそこに書いてあることはおおむね正しい。はず。
  4. 話の流れ上、この節ではいわゆる可算無限のことを「無限」と称して使う。すいません。
  5. ここが既にわからないというひともいるかもしれない(cf. 無限ホテルのパラドックス理解してるやついる?straychefのコメント)。部屋数が無限だから満室になるわけがないではないか、と。しかし、「無限ホテルが満室である」というのは無限個の部屋と無限個の宿泊客を一対一対応させていくことができるという主張であって、これには何もおかしいところはない。
  6. 移動は無限にたくさんあるが、それぞれの客が移動する距離は有限なので問題ない。
  7. さきほど申し上げたように、この節では連続体濃度のお客様はお断りしております。
  8. 順序数でいうと\(\omega \)に相当するイベント。
  9. 順序数でいうと\(\omega^{2}\)に相当するイベント。
  10. 順序数でいうと\(\omega^{\omega }\)に相当するイベント。
  11. なにせ、\(\epsilon_{0}\)人ぐらいは相手できないといけない。
  12. 解説の先取りになるが、\(\mathfrak c\)個のページがあるということ。
  13. 有限なら「個数を数える」ことができるが、無限の場合はそうはいかないので「個数」を一般化する必要がある。詳しくは最寄りの集合論者に問い合わせてください。
  14. フラクトゥールのc。
  15. このことは対角線論法を用いて証明される。対角線論法なあ。
  16. (集合)
  17. 正直よくわかってないが、それぞれの順序数に対してアレフ数を定義することができて、選択公理があればいい感じで大丈夫らしい。
  18. まあまあ出番が多い。
  19. Cantorはこれを das Kontinuumproblem連続体問題 と呼んだ。
  20. 提唱者なんだから当たり前だが。
  21. 集合論の公理系。必要とあらば数学のすべてをここから展開できるとされている。
  22. K. GÖDEL, The Consistency of the Axiom of Choice and of the Generalized Continuum Hypothesis with the Axioms of Set Theory, Ann. of Math. Stud., vol. 3, Princeton University Press, Princeton, NJ, 1940, pp. 33–101.
  23. 強制法!まったくわからん。ちなみに、このときCohenが用いた強制法は現在知られている形とは大きく異なっていたという。
  24. Paul J. Cohen, The independence of the continuum hypothesis I, Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, vol. 50, (1963), 1143–1148.
  25. ZFCは十分に強力なのでZFC = 数学と(こういうときには)考えてよい。
  26. 集合論者の中の集合論者。スーパースター。
  27. くるる先生のところで読んだ。
  28. 集合論の神。質問を入力すると共著論文を出力してくれるらしい。論文を1000本ぐらい書いている。Shelah数が1の先生にたくさん会ったことがあるのでぼくのShelah数も1.5ぐらいあると思う。
  29. かつて光の媒質として考えられたもの。cf. Wikipedia
  30. もちろん現実世界が”連続的”だという保証はどこにもないんですけども。