「創作人物の名前について」夢野久作

はじめに

小説を書こう、物語をつくってみようとしたときに、最初に困るのは登場人物の名前をどのように決めるかということだろう。ぼくも小説みたいなのを書いてみたことはあるが、小説を書き出さないうち、名前を決める段階でウンウン悩んでいることは多かった。Wikipediaでベーシストの一覧を眺めたり、本棚をあちこちあさってみたり、欧羅巴人名録さんのランダム命名を回したり、好きな映画の登場人物の名前をどうにか借りれないか考えたりしてみてもなかなかピッタリくる名前は決まらないものだ。

夢野久作がそんな苦労について語っているのが「創作人物の名前について」である。原稿用紙10枚程度の短い文章で、青空文庫にあるので一読をおすすめする。これさえ読んでもらえればこの記事は読まなくてもいいです。いや〜、大作家の苦労話はおもしろい。何か性格がわるいことを言ってしまったようだが本当にそう。

事実は小説よりも……

文中で述べられているとおり、小説の人物名の制約は現実の人間の名前よりも厳しい。

 大正七年頃であったか、何とかいう飛行将校が夫婦相談の上で、今度生れる子を男の児ときめてナポレオンという名前にきめているところへ女の子が生まれたというのでナポ子と附けたという話が新聞へ出ていたが、吾が児なら構わないかも知れないが、小説は売り物だからそうはいかない。読者を馬鹿にしているといっておこられてしまうにきまっている。
 そのほか与謝野オーギスト、今井手川四郎五郎左衛門、股毛一寸六、福田メリ子なんていうのは実在の人物ではあるが、小説の場合ではちょっと通用し難いようである。

股毛一寸六ってなんて読むんですか? まあたしかに、現実の人間の名前には(現実なのだから)場にそぐう・そぐわないといったことはそもそも言えないのだが、小説で雰囲気にそぐわない名前が出てきたら読者の気が散ってしまう。恋愛小説の主人公の苗字が「太尻穴(ふとしりあな)」だったらそれは純愛ではなくお笑いめいたものにならざるをえないだろう。だが現実世界に太尻穴さんがいるとしたら、その恋愛を笑うものは誰もいない。がんばれ太尻穴。みんな応援してるぞ。

命名の条件

さて、夢野久作は小説の中での名前のつけかたについて4つの条件を挙げている。

  1. 自分の書こうと思っている人物の性格や、風采にピッタリした名前でなくてはならぬ事
  2. その人物の風采が苗字だけ、もしくは名前だけでもスラリと眼に浮ぶような名前を附けなければ損
  3. 読者に記憶され易いこと
  4. 実在の名前を……たとえば電話帳などに多く出て来る名前をなるだけ使いたくない事

どの項目もうなずける話だが、とくに1. 2.は重要だろう。「岩山銅蔵という美少年だの、青柳美代吉なんという醜怪な兇漢なぞ」はいないのである。これの極端な場合が「出来杉できすぎ 英才ひでとし」「御坊おぼう 茶魔ちゃま」「泥棒田どろぼうだ 泥男どろお」「九蓮ちゅうれん 宝燈美ぽとみ」といったようなやつで、まあ直球勝負といった感がつよい。

ここで、夢野久作作品の登場人物については実際どうかということだが、彼の作品には独白体や書簡体であまり人物の名前というのが全面に出てこないものも多く、なんともいえない。だが、「ドグラ・マグラ」の両博士、「正木敬之」「若林鏡太郎」はとてもいいと思う。特に若林鏡太郎というのはいい名前で、ドグラ・マグラを読んだことがあるかたはおわかりいただけると思うが、巨漢なのに病弱な感じ、誠実でいてどこか不気味で気持ち悪い感じ、というのが滲み出るいい名前である。

シベリア出兵中に事件に巻き込まれる男をえがいた夢野久作の中編小説「氷のはて」に出てくる女将、富永トミなんかはあまりやる気がない感じもする。主人公・上村作次郎は、軍人っぽい名前をあれこれ考えたのかなという背景をどことなく匂わせる名前だ。

いちばんよくわからないのがドグラ・マグラに出てくる呉モヨ子である。いや、モヨ子って何?? ある意味作中最大の謎だ。少なくとも美少女の名前とは思えない。

こんな人におすすめ

  • キャラの命名にお悩みの方