「ゲルマニア」タキトゥス

はじめに

やっぱり我々文明人だから、「高貴な蛮族」概念というか、蛮族を遠くから見て尊敬するというのが好きなんである。別に彼らとともに住みたいわけではない。ヤンキー漫画を読むときの気持ちに近いものがある。

「ゲルマニア1」は古代ゲルマン民族2についての最古の記録であり、まさに帝政ローマをおびやかさんとする民族について、その質素剛健で勇壮な姿をえがきだしている。筆者はタキトゥス。ネルヴァ・トラヤヌス帝時代の大歴史家であり、共和主義者。抑制的ながら鋭い筆致はまさに名人芸だ。ただしティベリウス帝に対しては点が辛い。

この人がタキトゥス。

ざっくりローマ史

いきなりゲルマン民族の話というのも何だからざっくりとローマ史におけるゲルマニアの位置づけを見ていこう。下の地図で緑に塗られているところ(MAGNA GERMANIA、大ゲルマニア)がタキトゥスの「ゲルマニア」で主に述べられている地域である。だいたい今のドイツとかチェコ、デンマークあたり。

赤と緑の境目のあたりにはライン川が流れている。たいへん立派な川だが、これがローマ帝国領とゲルマン民族の居住地のあいだの防壁として機能していた。

The Roman Empire in 116 AD and Germania Magna, with some Germanic tribes mentioned by Tacitus in CE 98 (quick sketch, could be updated with greater accuracy).D. BachmannCC BY-SA 3.0
ライン河畔・ボッパルト、RaayabCC BY-SA 3.0

ローマ黎明期〜カエサルによるガリア征服

そもそもローマはローマからはじまった。なんだかすごくあほなことを書いてしまったが、イタリア半島の都市ローマからはじまったということである。そこからじわじわと勢力を拡大していき、政体が共和政になった。その後はカルタゴ、とくに名将ハンニバル・バルカ金融志向、カリスマ志向)との激戦を制したり、外征したり内戦したりあれやこれやとしているうちに史上最強のお祭り男 = ユリウス・カエサルがやってきて、ガリア3を征服しおまけにゲルマニアブリタニア4にツバをつけて帰ってきた。「ウィンストン・チャーチルは、大英帝国の歴史はカエサルがドーヴァー海峡を渡ったときから始まった、と言った5」という話もあるぐらいだ。

さて、話を大陸へもどそう。ゲルマン民族とローマとの国境問題が本格的にもちあがりはじめたのはカエサルによる侵攻以後のことである。

これより前にも、キンブリ・テウトニ戦争でガイウス・マリウス6とゲルマン諸族が争っているが、このときローマの領土はイタリア半島、シチリア島、サルデーニャ島、ヒスパニア、バルカン半島のあたり、カルタゴの跡地、等々であった。まだゲルマン民族の主要な居住地とは境を接していなかった。

Map of Roman Empire (1st century BC)User:HistoricairCC BY-SA 3.0
だいぶ時代は離れているが、ガイウス・マリウス当時の国境も地図の赤色の部分と大差ないと思われる。

先ほどカエサルによる侵攻と述べたが、カエサルはまずライン川を渡ってガリアに侵入してきたゲルマン人を追い返し、その後に「彼らが、ローマ人民の軍隊がレヌス7渡河を可能かつ敢行するのを理解して、自分たちおのおのの事態に怖れるように8」ゲルマニアに侵攻することを選択した。これは、ライン川以西のガリア人をローマに引き留めておくためのパフォーマンスのようなものであって、カエサルにはゲルマニアを恒久的に属州化する考えはなかったのではないか。事実、カエサルはライン川対岸を18日間にわたり荒らし回ったのちに撤退し、橋を破棄している。

このとき侵入してきたのはウシペテス族テンクテリ族であった。カエサルはこう書いている;

ゲルマニア人ウスィペテス族と同じくテンクテリ族が大がかりな人数で、
レヌス川(ライン川)を、レヌス川が流れ込む海から遠くないところで渡った。
(彼らが)渡河したことの理由は、以下のことであった。
スエビ族により幾年にもわたって追い立てられ戦争で悩まされ、畑を耕すことを禁じられていたためである。
スエビ族という種族は、すべてのゲルマニア人の中でたいへん大きく最も好戦的である。

「ガリア戦記」第6巻1節、Wikibooks

これは玉突き事故のようなもので、強いゲルマン人に追い立てられた弱いゲルマン人が川を渡ってガリアにやって来るというのは歴史上定番の流れだ。後のいわゆるゲルマン民族大移動もこの例に洩れない。

戯画的な見方ではあるが、ガリア人はゲルマン人にくらべていささか文明的、悪く言えば柔弱であった。通商による快適な生活になれたガリア人が、農耕や土地私有に興味を持たず、狩猟と戦闘にしか興味がないゲルマン人に敵うはずもない。ローマは国境を安定化するために、ゲルマン人をライン川の対岸に押しとどめる必要があった9

逆説的ではあるが、文明度が高いほど征服するのはたやすい。文明をしらず、都市生活をしらないものを従わせるのはむずかしい。「普通なら降伏するだろう」「そこまではしないだろう」という”文明的な”常識が通用しないからだ。

三個軍団全滅

この後カエサルは共和主義者によって暗殺される。「ブルータス、お前もかEt tu, Brute?」というやつだ。カエサルの後継者となったのはオクタウィアヌス――後の神君アウグストゥスである。アウグストゥスの(輝かしい)治世については割愛するが、ともかく彼は地中海世界全域の支配と平和、パクス・ロマーナPax Romanaを確立したことで名高い。

アウグストゥス治世におけるローマ帝国の版図。緑はアウグストゥスの治世下に徐々に征服された地域を表しており、黄色は紀元前31年の共和政ローマの版図を表し、ピンクの領域は従属国を表している。
From Wikimedia Commons,by Cristiano64CC 表示-継承 3.0

そんなアウグストゥスの数少ない失策のひとつがゲルマニア侵攻である。アウグストゥスはローマの国境線をライン川ではなくエルベ川にすることを計画していた。現代の地理でいうと、国境線をドイツとフランスの間におくのではなく、ドイツの半分ほどまで前進させようというわけだ。

この計画はドゥルーススや、その後ロードス島での隠遁生活から復帰したティベリウスらによってある程度の成功を収めていたが、紀元9年に破綻をきたすこととなる。トイトブルクの森で、当時のゲルマニア総督ウァルス10の率いる三個軍団がアルミニウス11率いるゲルマン人に全滅させられたのである。周囲には沼沢地が広がる、ゲルマニアの蒼然とした森林はゲルマン人のホームグラウンドだ。乱れた隊列の側面からのゲリラ的な攻撃によってローマ軍は疲弊し、つぎつぎと殺戮され、ウァルスは自害に追い込まれた。

これはアウグストゥスの征服意欲を削ぐのに十分なものであった。後にゲルマニクスによる侵攻などはあったものの、結局ティベリウス帝の巧妙な政策によって国境線はふたたびライン川とされることになる。

ようやくローマ史の復習が終わった。タキトゥス「ゲルマニア」が執筆されたのは、トイトブルクの戦いからおよそ90年後、紀元97-8年のころになる。

ゲルマニアの土地・習俗

では、「ゲルマニア」に述べられているゲルマン人の生活はどのようなものであったのだろうか。ようやく本題である。

ゲルマン人の体質

ゲルマニア諸族は異民族との通婚をせず、「ただ自分自らだけに似るtantum sui similis」と言われる12。ゲルマニア人の外見については以下のように述べられている。

鋭い空色の眼、黄赤色の頭髪、長大にして、しかもただ強襲にのみ剛強な体躯。――というのは、労働、作務に対して、彼らにはそれに相応する忍耐がなく、渇きと暑熱とには少しも堪えることができないからである。ただ寒気と飢餓とには、その気候、風土のために、彼らはよく馴化されている。

ゲルマニア 第一部 四

ローマ人から見て、自分たちより体格がよく、ブロンドの髪をした剽悍な人々は、恐ろしい蛮族であると共にエキゾチックな魅力をもった人々として映ったにちがいない。

ゲルマン人の衣服

ゲルマン人の衣服は基本的には套衣sagumである。これは粗い毛織の、四角い布を肩から羽織って胸の上部でむすぶだけの簡単なものだ。富裕なものは内衣うちぎを着用しており、乗馬ズボンのようなものも用いられていた。同時代人でもパルティア13の人々はワイドパンツを着用していたようだが、ゲルマン人のものは「ぴっちり身について、関節の一つ一つが、はっきり外にあらわれる」と述べられている。スキニー蛮族である。

獣の革を身にまとうゲルマン人もいたようだが、ライン川≒ローマ側に近いほどこういったものには無関心であり、反対に奥地の民族はこれを好んだ。未知之海に産する怪獣の斑紋ある皮を装身に用いたものもいたという。14

女性の服装はどうだったかというと、基本的には男性とおなじ15。女性用の衣服にも袖はなく、一の腕、二の腕、胸の一部はあらわになっていたようだ。

ゲルマン人の日常、宴席

ゲルマン人は概して遅起きであり、睡眠から醒めるやいなや彼らは沐浴する。彼らは湯をもちいることを知っていたが、川で水浴びをすることもいとわなかった。「ガリア戦記」にも、

…川の中で(男女が)混じって入浴しても、
なめし皮や、小さな毛皮の覆いを用いるが、体の大部分は裸なのである。

ガリア戦記 第6巻 21節 5

とある。

一方、彼らは脂肪と灰とからつくる「シャボン」は知っていたようだ。大プリニウス16はこれをガリア由来のものとしている。

戦争に出ないときは、だいたい狩猟に出かけているか、睡眠と飲食とにふけっているかどちらかである。男たちは家事を女性や老人に任せきりにしており、戦時の勇猛さとは裏腹にだらだらと過ごしている。「昼夜を飲み続けても、誰ひとり、非難をうけるものはない」という。

ゲルマン人の飲料

さてゲルマン人が飲んでいた酒はどのようなものであったのか。タキトゥスは「大麦または小麦より醸造つくられ、いくらか葡萄酒に似て品位の下がる液」だと述べている。つまりはビールの類である。かれらはビールに、今でいうホップのような「にが草」を混ぜて雑菌の繁殖を防ぐことも知っていた。ライン川・ドナウ川に近い部族は、ローマ側から葡萄酒をあがなうこともあった。

ゲルマン人の宴会は殺傷に終わることもあれば、戦争の和睦、婚姻、首領の選定などについて胸襟を開いて語りあうこともあったようである。宴会で重大事を決する習慣は、ヘロドトスが述べているようにペルシア人の間でも見られる。

ゲルマニアの神々

次にゲルマン民族がゲルマン人の間で伝承されてきた歌では、大地から生まれた神トゥイスコーTuiscoとその子マンヌスを種族の始原として讃えているが、これらの歌の具体的な形式と内容についてはあきらかになっていない。

タキトゥスはゲルマン人の間で信仰されている神の名に言及しているが、これらは日本で言う本地垂迹ほんじすいじゃくのようなもので、ゲルマンの神をローマ・ギリシャの神に置き換えて話をしている部分も大いにあるようだ。ゲルマン人が信ずる神々の名としてタキトゥスはメルクリウス17マルスなどを挙げているが、これはゲルマン神話にいうウォーダントールに対応するものと思われる18

この節におけるタキトゥスの記述で、個人的に興味深いのは以下の部分である。

(前略)……彼らは囲壁をもって神々をかこい、あるいは人間の容貌のいかなる形にも似させたりしないことをもって、天上の神々の偉大さに適うゆえんであると考える。彼らは森や林を神に捧げ、ただ畏敬をもってのみ彼らが見るところの、かの神秘なるものを、神々の名をもって呼ぶのである。

ゲルマニア 第一部 九

これはベックリン「ヘラクレスの聖域」を連想させる描写だ。

こう眺めてみると、「囲壁をもって神々をかこい」「森や林を神に捧げ」るというタキトゥスの描写そのままである。正確にゲルマン的・・・・・・・な絵だと言えようか。

余談: ウィッカーマン

ウィッカーマンの想像図。

ある者たちは、恐ろしく大規模な像を持って、
その柳の枝で編み込まれた肢体を人間たちで満杯にして、
それらを燃やして、
人々は炎に取り巻かれて息絶えさせられるのである。
窃盗あるいは追い剥ぎに関わった者たちを処刑することにより、
あるいは何らかの罪状により捕らわれた者たち(の処刑)により、
不死の神々に感謝されると思っている。
しかしながら、その類いの量が欠けたときには、
潔白な者たちさえも犠牲にすることに頼るのである。

「ガリア戦記」第6巻16節

ところでこれはゲルマニアとは関係ないのだが、ガリアの信仰についても述べてみたい。ウィッカーマン――巨大な人型の檻に犠牲を詰め込んで焼き殺すという古代ガリアの風習――をご存知だろうか。1973年にはこれをモチーフにした映画が撮影され、2006年に主演: ニコラス・ケイジでリメイクされている。ぼくは見たことありませんけど。町山智浩のいうところによると、ニコラス・ケイジのカルト映画仲間だったジョニー・ラモーン19の遺言が「『ウィッカーマン』をよろしく」で、それを受けたニコラス・ケイジがウィッカーマンのリメイク権を自腹で買ったという泣かせる話があるらしい。……が、その真偽は定かではない20

婦人の生活

よい歴史家は事実だけ・・を記述することで、そこに自らの思想を――暗黙裡21に――あらわすことができる。タキトゥスも(少なくとも本書においては)その例に洩れず、ゲルマン婦人の生活の描写を通じてローマ世界の風習に批判をくわえている。

このゆえに婦人たちは、よく貞潔をまもって一生をすごし、見世物の誘惑、宴席の刺激に損なわれることがない。

ゲルマニア 第一部 十九

またこのように人口の巨大さにもかかわらず、この民族において、きわめて少ないのは、姦通である。その処罰は立ちどころに執行され、その夫に一任されている。夫は妻の髪を切り去って、これを裸にし、その近親の目前において、家より逐いいだし、鞭を揮って村中を追い回す。公にされた貞操には、なんの容赦もないからである。容貌、年齢、資産をもってするとも、もはや夫を見出すことは、おそらくはできるまい。なんとなれば彼処かしこでは、誰もかかる罪を笑って済ますものはなく、誘惑したり、されたりを、「時世(の習い)22」とも言わないからである。

ゲルマニア 第一部 十九

これを読んでぎくりとしたローマ婦人もいたのだろうか。ここでタキトゥスの目はあきらかにローマに向けられている。若く勢いのあるゲルマン諸部族と、爛熟し頽廃した(とタキトゥスの目にうつる)ローマ帝国の対比は、「ゲルマニア」の随所に見られる。

諸部族の風習

さて、ここからはゲルマニア諸部族の独特な風習について見ていこう。ここらへんは正直タキトゥスが話を盛っている部分もあるのではないかと思うが、かなりおもしろい23。ひとつひとつが詩的とさえいえる物語だ。ひとつずつ見ていこう。

カッティー族

カッティーたちは24、成人すると頭髪やひげを切るのをやめ、生えるに任せておく。彼らが額を打ちひらく25のはどんなときだろうか。ここは引用しよう。

敵の血潮と戦利品の上に立って、彼らは〔蓬髪に〕掩われた額をはじめて打ちひらき、この時はじめて自分がこの世に生を享けたことに対する償いを果たして、祖国と祖先とに値する者となったことを主張する。優柔な者、臆病な者には、この醜い姿は〔終生〕はなれることがない。

ゲルマニア 第二部 三十一 強調はブログ著者

「自分がこの世に生を享けたことに対する償い」というのはなかなかの名訳である。カッティーはこの他にも、敵を殪して鉄の指環を抜きとってそれを鎖のように身にまとう習慣もあるという。

セムノーネース族

セムノーネース族はスエービー諸族の中で最も古く高貴なものどもだ。彼らは神聖な森に、人身を犠牲に供して、「野蛮な祭祀の戦慄すべき秘儀primordia」を執行する。

彼らは森に崇敬を払っており、そこにはひとつのルールがある。鎖に身体を縛られることなくしては森に入ることができず、中で誤って足をすべらせたとしても他の人はそれを助け起こしてはならない。ゴロゴロ転がって森の外へでるほかないのだ。何人といえども、森の前には卑小な存在、ただ神能の偉力に拝跪するものにすぎない。

ランゴバルディーおよびネルトゥス諸族

彼らは大地の女神を崇拝する点において共通しており、またそれが人々の間に訪ねてくると信じている。

どういうことかというと、大洋中のある島26に、いまだかつて斧鉞ふえつを蒙った27ことのない聖杯がある。さらにそこには女神に捧げられた小車があって布をもっておおわれ、ただひとりの司祭のみがこれに触れることをゆるされている。

この小車に女神が入来すると、それはまだ仔を産んだことのない牝牛に牽かれてあたりを回ってゆく。女神が訪れたところはすべて祝祭の場所となる。

最後には、司祭は定命の者との交渉conversatio mortaliumに倦み飽きた女神を聖なる森へと送り返す。神秘の湖において、車、布、そして――信ずるならば――かの神性そのものさえ洗い浄められる。

奴隷たちがこれを司るが、湖はただちに彼らを呑み去ってしまう。ここにおいて、かの死にゆく者のみが見うるものは、いったい何であろうか、とする神秘的な恐怖と、神聖な無知とが起こる。

ゲルマニア 第二部 四〇 ランゴバルディーおよびネルトゥス諸族

この一節は「ゲルマニア」でもっとも詩的な部分ではないか、とさえぼくは思う。ここには隠匿の美学がある。ある人にしか見ることのできない神性な景色があり、それは他人にはうかがい知ることができない。そして彼は死ぬ。彼はもはや奴隷ではない。

ベックリン 死の島
ベックリン「死の島」

ハリイー族

彼らはその凶暴さを作戦によってさらに高めている。楯や身体を黒く塗り、戦いには闇夜をえらぶ。その幽霊のような軍勢は、敵に大きな恐怖心をあたえる。

見なれない、いわば死のような、この光景に堪えうる敵は、ひとりとしていない。なんとなれば、すべての戦闘において、第一に征服されるものは人の眼だからである。

ゲルマニア 第二部 四三 東方スエービー諸族

その他東方の諸族

フェンニー族には野獣的な生活と悲惨な困窮とがある。彼らには武器も馬も家もなく、毛皮を着、ただ大地に寝る。彼らは人間に対しても神々に対しても心を砕くことはなく、何かを願うことさえしないというある意味もっとも難しい境地へ到達している28

ヘッルスィイー族とエティオーナエ族は、頭と顔は人間、胴体と四肢は野獣であるという。ここにおいてタキトゥスの筆致は急に非現実的なものになって、「ゲルマニア」は自ずから終わる。タキトゥスの眼はあくまでもローマ社会に向けられていて、寓話を書き連ねることはその意図にそぐわないからだ。

余談: 訳註のすばらしさ

この記事では「ゲルマニア」の岩波文庫版を参照したが、その訳注を担当したのは泉井久之助氏である。彼がこの訳出に手をつけたのは大学院を出るか出ないかのころであるというから驚きというほかない。訳のすばらしさはもちろん、註釈もたいへん細かくつけられていて、ときには本文を上回る熱量だ。

ぼくがこの本を読みはじめたときを、第一部の一でライン川(Rhenus, Rhein)の語源についてつけられている註釈の細かさに衝撃をうけた覚えがある。この一語に対してまるまる3ページもの説明がつくのだ。かなり込み入った話なので詳しくは本書を参照してほしい。

こんな人におすすめ

  • ゲルマン民族に興味がある人
  • 知らない場所の知らない人々の生活について読んでみたい人
  1. 岩波文庫版のタイトルは「ゲルマーニア」となっているのだが、ぼくの好み上この記事では「ゲルマニア」とさせてもらう。
  2. そもそも「ゲルマン民族」という言葉自体が曖昧なものなのだが、ここでは何かゲルマニアあたりに住んでるやつら程度の意味で考えておこう。個別の人々については「ゲルマン人」と呼ぶことにする。
  3. ざっくりいうと今のフランスのあたり。
  4. 現在のイングランド。イギリス。グレートブリテン島。
  5. 丹羽隆子「16-17 世紀、海の世紀のイングランド」雑感Journal of the Tokyo University of Marine Science and Technology, Vol. 5, pp. 5-9, 2009
  6. 民衆派Popularesの大物。ローマの軍制改革によりそれ以後の帝国の方向をある意味で定めた。経歴や芸風からなんとなく山縣有朋臭がする。
  7. ライン川のこと。
  8. 「ガリア戦記」第4巻16節
  9. 川をはさんでゲルマン人とガリア人がきれいに二分されるわけはもちろんなく、その境界は曖昧なものだっただろう。ガリアとゲルマニアの境界がライン川なのではなく、逆にライン川を境界と定めたことでガリアとゲルマニアがその明確な姿をあらわしたとも言える。
  10. ローマで一番有名な戦犯。文明度の高い属州勤務が長かった人物で、その統治がゲルマン人の怒りを買ったともいわれる。
  11. ケルスキー族の族長の息子として生まれ、ローマ軍のもとで経験を積み、ローマ市民権を獲得した。だが、ローマに対する叛乱工作を開始。ウァルスを破ったのは本文の記述のとおり。のちにゲルマン人同士の争いの中で没す。
  12. このことは事実としての純血性というより、ゲルマン民族の独自性を強調したものであると読むことができる。「ガリア戦記」6巻24章 – 2にも、ケルト系のテクトサゲス族がゲルマン化したという事情が述べられている。
  13. 古代イランの王朝。パルティアンショットで三頭政治の一角・クラッススをしばきまわしたことで有名。
  14. 未知之海(incognitum mare)とは今でいうフィンランド湾やボスニア湾のこと。当時のローマ人から、この海域は不気味さと神秘性をもって受け止められていた。怪獣というのはおそらくアザラシのことだろう。
  15. 茜色に染め分けた麻布を装身に用いることはあったようだ。今年のゲルマニアのトレンドはこれでキマり!
  16. かの「博物誌」を著した人物。ポンペイのヴェスヴィオ山の噴火による壊滅に巻き込まれて亡くなっている。
  17. ローマ神話にあらわれる神。商業や旅を司り、ギリシア神話のヘルメスと対応する。
  18. ここらへんはあまり自信がないが、ゲルマン神話は北欧神話を含む諸神話の総称といってよいと思う。ウォーダンというのはドイツ語の表記で、古ノルド語ではÓðinnと書かれる。つまりはオーディンのことだ。オーディンという名前ならば馴染みがある人も多いだろう。
  19. アメリカの伝説的なパンクバンド・ラモーンズのメンバー。cf. Wikipedia
  20. 洋泉社MOOK「グラインドハウス映画入門」中で語っていた。
  21. implicitに。
  22. saeculum――人の存世期間、一生、長期間の意味。「時世の習い」という意味で用いるのは独特。原註より。
  23. 実はここが書きたくてこの記事を書きはじめたが、前置きが異常に長くなってしまった。
  24. 他のゲルマン諸族でも行われたりするが
  25. 髪を切るということではなく、蓬髪をやめてちゃんとセンター分けにするということらしい。
  26. 本書訳注・泉井久之助氏は、これをタキトゥスが憶測で述べているだけだというふうには見做していない。彼はかなり詳細な註釈をくわえ、この島はスウェーデン領ゴットランド島ではないかと提案している。ゴットランド島の主要都市ウィスビュー(Visby)も、その語源をたどれば「供犠の町」「犠牲を供する町」といったほどの意味になるという。vi-がドイツ語のWeiheと語源的に一致し、その原義は「神に犠牲として供するものとして別にとっておく」である。
  27. 斧鉞:おのとまさかり。斧鉞を加える、だと文章に手をくわえるという意味だが、斧鉞を蒙るというのはどういう意味かよくわからない。単に戦火にさらされたことがないと解するべきだろうか。
  28. このような一切の束縛を離れた野獣生活は、爛熟した文化に住む知識人たちのあこがれではあった。