はじめに
澁澤龍彦はフランス文学者であり評論家であり小説家で、黒魔術を、秘密結社を、殺人を、エロティシズムを語ったかと思えば後年には日本文化に”帰還”した。ぼくはとらえどころのないこのひとがとても好きだ。
珍書奇書に埋もれた書斎で、殺人を論じ、頽廃美術を論じ、その博識には手がつけられないが、友情に厚いことでも、愛妻家であることでも有名。この人がいなかったら、日本はどんなに淋しい国になるだろう。
「著者・澁澤龍彦氏のこと」三島由紀夫
澁澤、毒薬を論ず
澁澤の文体はいつもどこかロマンティックで、膨大な引用にあやしく彩られている。「毒薬の手帖」もそんな空気に満ちた、毒薬・毒殺・犯罪についてのエッセイ集だ。扱われる範囲は古代のバビロニア、ペルシアやローマから、中世におけるマンドラゴラ幻想、ルネサンス期のボルジア家やヴァロワ朝の宮廷、黒ミサや最後は20世紀の毒ガス等にいたるまで、その記述は多岐にわたる。ぱらぱらとページをめくってみるだけで興味深いエピソードがたくさん出てくるが、その中からいくつか紹介してみよう。
ボルジア家の毒薬
いささか奇矯な言辞を弄すれば、文化の洗練と殺人の洗練とは、おそらく、いつの時代にも並行して達成されるのであろう。
毒薬の手帖(河出文庫)p84
ボルジア家はスペインの郷士(イダルゴ)から身を起こして、ルネサンス期のヨーロッパにその悪徳を刻みつけた。この一族の中でも特に有名なのが、冷酷にして有能なヴァレンティーノ公チェーザレ・ボルジアと、その父ロドリーゴ・ボルジア=ローマ教皇アレクサンデル6世の親子である。チェーザレはマキアヴェッリをして「君主論」を書かしめた大胆不敵な君主であり、アレクサンデル6世は「聖職売買・大規模な買収・官職売却によって法王位を獲得した1」ことで悪名高い。
たいへん有名だが、ボルジア家の毒薬は「カンタレラ」という。ブルクハルトは「雪白な味のよい粉薬」とだけ伝えており、調合によってその毒は遅効性にも即効性にも変化したという。
そうだとも、ボルジア家の毒薬は、彼らの望みのままに、相手を一日で殺すことも、一月で殺すことも、あるいは一年がかりで殺すこともできるのだ。酒に投入すれば味がよくなって、つい舌鼓を打って飲みほしてしまう。酔った気になっているうちに死んでしまう。場合によっては、急にだるくなり、肌が皺立ち、目が落ちくぼみ、髪の毛が白くなり、歯が抜け出す。もう歩いていられず、地面を這うようになる。呼吸が苦しくなって、ぜいぜい息を切らす。笑うことも眠ることもできなくなって、昼日なかでも、ぶるぶる悪寒がする。そして、しばらく生死の境をさまよってから、ついに死んでしまうのだ。死ぬ時になってようやく、半年前か一年前に、ボルジア家で酒を飲まされたことを思い出すのだよ。
戯曲「ルクレツィア・ボルジア」ヴィクトル・ユゴー
ボルジア家の親子もその晩年には、一説ではカンタレラを誤って飲んだといわれるが、その実はマラリアにかかり、破滅への道を歩んでいくことになる。塩野七生は「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」で「世に有名なボルジア家の毒薬とは、法王とチェーザレ2人の頭脳のことではなかったか」としており、これは少々気取った書きかただが、おおむね正しいのではないだろうか。
毒娘
19世紀の植物学者フランダンによると、古代エジプトのファラオたちは敵への贈り物として、長い間すこしづつ毒を飲まされて有毒体質(!)となった娘をさしむけたという。アレクサンドロス大王もインドの太守から有毒体質の美しい娘を贈られたそうだ。
これとよく似た話にナサニエル・ホーソーンの「ラパチーニの娘」がある。毒によって養育された少女がいて、それに恋をした青年の身体もまた毒に染まってしまい、虫に息をふっと吹きかけただけで殺してしまうようになる。物語の最後には、彼女が解毒剤をのむ。
毒薬が彼女の生命であったと同じように、効能のいちじるしい解毒剤は彼女にとって「死」であった。
「世界怪談名作集 上」河出文庫、河出書房新社
というわけだ。この毒娘たち、接吻したが最後、性交渉などもってのほか、というわけで、このモチーフは儚さと暴力性を同時にあわせ持っている。
毒の文化史?
この本は「毒の文化史のごときもの」2であるが、その中心に据えられているのは人間どうしのエピソードである。ソクラテスの死にはじまり、古今東西、毒は「劇的シチュエーションをつくり出すための、欠くべからざる要素3」であった。殺人は、きわめて衝動的に行われる一方で、文化の洗練ともその歩みをともにしている。
こんな人におすすめ
- あやしげな話をたくさん読みたいひと
- 最近髪が白くなり歯が抜けてきたというひと