「ペスト大流行」村上陽一郎

黒衣の行列

ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊 (岩波新書 黄版 225)

「ペスト」といわれてまずぼくの頭に浮かんでくるのは、身体にできた黒い斑点におびえる人々でも、医師たちの奇妙なマスクでもなく、ホドロフスキーの映画「リアリティのダンス」の1シーン――ぼろぼろの黒い服を身に纏い、黒い傘をさしたペスト患者の集団が山をくだって街へと行進してくる――というシーンだ。不穏さと奇妙な魅力を漂わせる名場面である。このちょっと後で妻が夫の顔面に放尿したりするのだが今はその話をしている時間がない。

さて、黒死病が大流行した中世後期・14世紀のヨーロッパにおいても、「行列」は存在したようだ。群衆が互いに、あるいは自分自身を鞭打ちながら行進するという大衆運動は、黒死病以前のイタリアにはじまり、14世紀にはドイツやデンマーク、オランダ、イングランドまでをも席巻した。これはペストの流行を神の怒りの顕現とみなし、それに対する贖罪行為として支持されたものであった。彼らは厳格に宗教上の取り決めをまもり、異性と目をあわせることさえ恐れた。

The Plague,Arnold Böcklin (Public Domain)

これは当時の教会組織に対する批判1として機能し、宗教改革の萌芽となるものであったが、こうした集団が未感染の村にペストを持ちこんだり、ユダヤ人迫害の先頭に立ったりもした。

……といった、黒死病とそれにまつわる社会変動の分析が克明におこなわれているのが本書である。さすが村上陽一郎、といったところ。

雨の降る日には糖蜜を

本書は8つの章からなる。

  1. 古代世界とペスト
  2. ヨーロッパ世界の形成とペスト
  3. 黒死病来る
  4. 恐怖のヨーロッパ
  5. さまざまな病因論
  6. 犠牲者の数
  7. 黒死病の残したもの
  8. 黒死病以後

どの章の議論も詳細で、特にペストの原発地とヨーロッパへの伝播経路について述べた3章は謬説に対する批判が念入りですばらしい。だが、ここでは敢えて6章の冒頭部分を紹介しよう。

14世紀のペスト流行当時、「病原体」が「感染」するという概念は一般的なものではなかった。よってペストの原因については、体液の平衡失調や汚染された空気、非キリスト教的な占星術による解釈、果てはバジリスクのごとく「患者の眼差し」など、さまざまな説が考えられた。

よって治療法も決定的なものは考え出されず、どちらかといえば「生活習慣に気をつけましょう」式の自然主義的療法が多く提案された。以下で、ギ・ド・シォリアク(ギー・ド・ショーリアック、Guy de Chauliac)の紹介した療法をみてみよう2。彼はローマ教皇クレメンス6世の侍医であり、自らもペストに罹患したが奇跡的に回復した。

Guy de Chauliac (Public Domain)

当時の療法

 鳥類の肉、若い豚の肉、年老いた牛の肉、さらに普通の牛豚でも、肥大したものの肉などは食してはならない。スープは、胡椒、生薑(しょうが)、丁子などで味つけしたものを飲むのはよい。

昼寝は有害であり、夜寝(やす)むときは明方までぐっすりと眠るのはよい。朝食では、飲物を控えるべきである。夕食は日没一時間前に摂るのがよく、飲物は朝食のときよりは多く飲んでよい。食事とともに摂る飲物は、軽く純粋なブドウ酒に、水を五分の一ほど混じたものを用うべきである。

新鮮な果物、乾燥した果物をブドウ酒とともに食べるのは悪くはない。ビート類などの野菜は、生のままでも調理をしても害がある。夜分から明方三時までは決して外出してはいけない。露にあたる危険があるからである。小型の川魚だけは食べてもよい。

身体を使い過ぎるのはよくない。普段よりも身体は温め気味にしておくのがよい。天水を料理や飲水に使うことは厳禁である。雨模様の外気に身体をさらすのは有害である。雨の降る日には、夕食後少量の糖蜜を摂るべきである。  

肥った人には日光浴を禁ずべきである。ブドウ酒は十分吟味されている限り、機会多く飲むべきであるが、一回量は少量にとどむべきである。オリーヴ油を調理に用いることは非常に危険である。断食や過度の節食、精神不安、激怒、過度の飲酒、これらすべて有害である。入浴も避けるべきである。

……といった様子である。引用の都合もあり、なんというか全体に散漫な印象だが、かえって当時の雰囲気をよく伝えている。どのアドバイスも味わい深いが、「雨の降る日には、夕食後少量の糖蜜を摂るべきである。」というのは特にいい。

こんな人におすすめ

  • ペストに詳しくなりたいひと
  • 身体のあちこちに黒い斑点が出てきて不安だというひと
  1. ペスト流行当時はアヴィニョン捕囚の時期と重なっており、後にはシスマが控えている。ハチャメチャ右大臣である。
  2. 以下の記述は本書のp120-121による。