はじめに
この話は夢野久作の短編1のなかでもそう有名なほうではないと思う。ところがこれは、悪魔のような美少女がブルドックみたいな成金と身長2mの童貞インド人と骸骨みたいに痩せこけた共産党員に惚れられていて、それでいて誰のものにもならずに神戸海岸通のレストランでひとり高笑いをする……という最高の短編なんである。その美少女の名前はエラ子という。エラ子?? あなた「創作人物の名前について」でナポ子とかメリ子はダメって言ってたじゃないですか。
それはそうと、この作品も青空文庫で読めるのでぜひ読んでみてほしい。最高なので。
いろいろな悪女
「わかりませぬ。美しい女には誠実こそ何より似つかわしくは?」
「ハムレット」福田恆存訳
「いや、とんでもない。なまじの美しさが、貞淑な女を手もなく不義に陥れる」
この話は悪女の話といえるだろう。だがここでいわれている悪女というのは、行為の残虐や、金銭欲や権力欲の強さによって規定されるようなものではない。傲慢な言い方をするようだが、彼女はただそのうつくしさによって悪女である。うつくしいものが悪しきものよりも容易に人間を破滅させうることは、みなさんもご存知のことと思う。まあ、現実世界にはそんなにうつくしい破滅というものは見られないかもしれないけども。
ちなみにぼくのオーダーですが、「小松菜奈と中条あやみのはさみうちによって人生の袋小路に追い込まれて破滅」です。よろしくお願いします。
「ココナットの実」キャラクター名鑑
エラ子
この物語の主人公。うっかりすると14、5歳にしか見えない美少女。ジンベースのカクテルを飲んでいる場面はあるが、成人しているのかすらよくわからない。後述する高利貸王・赤岩権六を旦那にしている2。物質的には満ち足りているはずだが何もかもをツマラナイと感じており、「気が違うほど怖い眼だの、アブナッカシイ眼にだの会ってみたくて会ってみたくて仕様がない」という。
赤岩権六
「財界のムッソリニ、高利貸王」と称されている人物。エラ子からは「ブルドッグ・オヤジ」略して「ブル・オヤジ」と言われている。自分が経営する通称ゴンロク・アパート3にエラ子を住まわせている。本宅は諏訪山裏にある4。財界や政界でなかなかの力をもっているようだ。
ハラム
身長2m、筋骨隆々で顎髭や胸毛をモジャモジャと生やした堂々たるインド人。何とかいう神様に誓って42歳まで童貞を守っている。シンガポールの一流ホテルで稽古しただけあって日本語は堪能。赤岩権六に雇われて、エラ子のご飯を作ったり風呂に入れてやったり(!)身の回りの世話をしている。
妾は毎朝ブル・オヤジが帰ったあとで、誰も居なくなると、この男に抱かれてユックリお湯に入れてもらうのを何よりの楽しみにしていた。それは思いようによってはこの上もない、ステキな冒険に違いなかったから……。
エラ子の述懐
中川青年
通称狼。骸骨のように痩せこけた左翼青年で、なかなかの暴れ者5。変装の名人でもある。
エラ子に音を洩らさないピストルの撃ち方や自然発火装置の作り方などを教えたが、肝心の共産主義の話になると頭が悪いせいか一向に要領を得ない。エラ子には「ただ小器用なのと、感激性が強くて無鉄砲なだけが取り柄の人間」と言われている。肺病を抱えているせいもあり、死ぬ前に何か大きなことをやってやろうとたくらんでいる。
「ココナットの実」名場面集
冒頭
妾は今、神戸海岸通りのレストラン・エイシャの隅ッこに、ちょこりんと腰をかけている。油気のない前髪をういういしく垂らして、紫ミラネーゼの派手な振袖を着て、金ピカの塩瀬を色気よく高々と背負しょっているのだから、ウッカリした男の眼には十四五ぐらいにしか、うつらないでしょうよ。どうぞ、そのおつもりでネ……ホホホホホ……。
地の文(エラ子)
ぼくがこの短編に引き込まれていく原因となった冒頭部6。神戸海岸通りが夢野久作の小説の舞台になっているとは思いもしなかった。ところで紫ミラネーゼって何ですか?
ハラムの語り
籐椅子がハラムの大きな
ハラムの語り身体 の下でギイギイと鳴った。
その時にハラムは底深い、静かな声で、ユルユルと口を利きはじめた。妾の瞳をみつめたまま……。
「……何事も運命で御座います。妾は、お姫 様の運命をはじめからおしまいまで存じているので御座います。あなた様の過去も、現在も、未来の事までも、残らず存じ上げているので御座います。この世の中の出来事という出来事は、何一つ残らず、運命の神様のお力によって出来た事ばかりなのでございます」
ハラムの顔付きがみるみるうちに、それこそ運命の神様のように気高く見えて来た。ターバンのうしろに光っている海月色 のシャンデリヤまでが、後光のように神秘的な光りをあらわして来た。それにつれてハラムの低い声が、銀線みたいに美しい、不思議な調子を震わしはじめた。
「……その運命の神様と申しまするのは、竈 の神、不浄場 の神、湯殿の神、三ツ角 の神、四つ辻の神、火の山の神、タコの木の神、泥海の神、または太陽の神、月の神、星の神、リンガムの神、ヨニの神々のいずれにも増して大きな、神々の中の大神様で御座いまする。その運命の大神様の思召 しによって、この世の中は土の限り、天の涯 までも支配されているので御座います」
全体的に軽快なこの作品の中で、夢野久作のもつアヤシイ部分が光る。宗教者の語り口である。
八つ裂き
「その代りに御褒美には何でも上げるわ。妾はナンニモ持たないけど……妾のこの身体でよかったらソックリお前に上げるから、八ツ裂きにでも何でもしてチョウダイ」
エラ子、ハラムに言う
エラ子を象徴するひとこと。魅力的で頭もよくまわるようでいて、どうしようもなく空っぽでもある。それはどこまでが真実でどこからが虚飾なのか。彼女はそれにどこまで自覚的なのか。
吐血
「チットモ怖かないわ。肺病のバイキンならどこでもウヨウヨしている。けれども達者な者には伝染しないって本に書いてあるじゃないの。妾その本を読んだから、あんたが無性に好きになったのよ。あんたが肺病でなけあ、妾こんなに可愛がりやしないわ。妾はあんたが呉れた赤い表紙の本を読んでいるうちに、あんた以上の共産主義になっちゃったのよ。……あんたが妾にサクシュされて、どんな風にガラン胴になって、ドンナ風に血を吐いて死んで行くか、見たくって見たくってたまんなくなったのよ。だからこんなに一生懸命になって可愛がって上げるのよ」
エラ子、中川青年に答えて
狼青年に、肺病は怖くないかい、と問われたときのエラ子のセリフ。肺病だから好きだというのは一見すると悪趣味にも見えるが、ではひとに好意を寄せる正当な理由とはなんだろうか。「あなたを幸せにします」も、「あんたがどんな風に血を吐いて死んでいくか見たくてたまらない」も、同様に愛の告白でありうる。
お腹の上の食パン
本当を云うと妾はこの時に身体中がズキンズキンするほど嬉しかった。約束なんかどうでもいい……こんなステキなオモチャが手に這入るなんて妾は夢にも思いがけなかった。妾はウルフに獅噛付いて喰ってしまいたいほど嬉しかった。丸い銀の球を手玉に取って、椅子やテーブルの上をトーダンスしてまわりたくてウズウズして来た。
地の文、エラ子
けれども妾は一生懸命に我慢した。その新しいパンの固まりを、お臍の上に乗っけたまま、ソーッとあおのけに引っくり返った。その中の銀色の球の重たさを考えながら、静かに息をしていると、そのパンの固まりが妾の鼻の先で、浮き上ったり沈み込んだりする。その中で爆弾が温柔しくしている。そのたまらない気持ちよさ。面白さ。とうとうたまらなくなって妾は笑い出してしまった。
もはや説明はいらないかもしれないが、パンの塊(爆弾入り)をお腹の上にのせてそれが浮き上がったり沈み込んだりするのを眺めている美少女はたいへん魅力的である。性的と言ってもいい。ぼくはお腹にフェチを感じるほうの人間ではない7が、この描写は格別だ。夢野久作の描く美少女はすばらしい。
こんなひとにおすすめ
- 美少女に破滅させられたい人
- 神戸市民
- この話は原稿用紙50枚程度。文庫本にすると20ページ強だろうか。
- 旦那とはいうが愛人を思わせる書きぶりでもある。また、冒頭の新聞記事には赤岩権六の私生児だと書いてある。このあたりよくわからない。情夫の共産党員と逃げ出したとかいろいろ嘘が書いてあるのでまあこれも嘘なのかもしれない。
- このアパートは神戸海岸通にあって、左手に諏訪山公園、右手に港が見えるという。今でいうポートタワーホテルのあたりであろうか。
- エラ子は赤岩権六が「諏訪山裏の本宅の白髪婆」のところに帰ると言った。
- 本文で「左翼の左翼の共産党の中でも一等スバシコイあばれ者だと自分で白状していたが、それはハラムの童貞とおんなじにホントウらしかった。」と言われている。早速ネタにされる童貞。
- 夢野久作botのツイートで見た。
- なんといってもメガネが好きです。よろしくお願いします。