去勢とテクスト

「残念ながら私はあなたの父ではない。

教え去勢を受け入れるならば、私はあなたを息子と認めよう」

スコプツィ開祖、コンドラティ・セリワノフ、ロシア皇帝パーヴェル一世に告げていわく

はじめに

 西洋は伝統的に「書かれたテクスト」を重要視してきた1。書かれた法にしたがうことを受け入れ、それ以外の儀礼によって編まれるものは排除される。
 ……というと唐突に聞こえるかもしれないが、この「テクストへの準拠」というのは現代人にもおなじみのものだ。身分を証明するときに免許証や社員証を手にして、「ほら、ここに書いてある・・・・・・・・」と告げること。辞書を、教科書を手にして、「ここに書いてある・・・・・・・・とおりだ」と言ってみせること2。その挙措。そこに「なぜ」は在る。
 このような「書かれたテクスト」主義はべつに人類にとって本質的なものではなくて、西洋から世界中に密輸・・された品にすぎない。その端緒となっているのはルジャンドル3が言うところの「中世解釈者革命」である。

portrait mosaic of Justinianus I

 東ローマ皇帝・ユスティニアヌス1世が6世紀ごろに編纂を命じた「ローマ法大全」は、11世紀ごろ西欧で「再発見」され、ボローニャ大学4などでその研究が進められた。これはときのローマ教皇・グレゴリウス7世5の改革に根拠を与えるためであったが、このローマ法の再発見・精緻な教会法の構築という流れの集大成に位置づけられるのが「グラーティアヌス教令集」だ。ルジャンドルはこれによって「敢えていえば、地球が変わったのだ」という。単なる法令集によって、何が変わったのだろうか。
 教会法の編纂は、相矛盾する教令を突き合わせ、無矛盾なものにする果てのない作業であった6。そこで、編集者/解釈者は独特の地位を獲得することになる。法令の修正、注釈、複写、偽作、裁断のきりもない繰り返し。現状にそぐわない古代の法典への、わずかな修正、加筆、改竄。ひとつひとつは細かなものに過ぎない、この泥臭いプロセスを経て、テクストが、ひとつの権力が編まれていく。

だから、「近代ヨーロッパはこう考えるのだ、ひとつの文章は無限に書き直せると」7。このような理路をへて、テクストは客観的なものであるという壮大なフェイクが成立した。だがテクストは客観的でなどありえない。それは常に意図され、形作られたものだ。

書かれたもの”以外”

「ダンスを根本的な政治的操作の外にあるものとみなすのをやめなくてはならない」

ルジャンドル

 ところで、実は、「テクストは書かれたものエクリであることを必要としない8」。そもそもテクストは儀礼の謂いであって、書かれたもの以外もテクストたることができる。書かれたテクストのみが法の受肉であるとみなすのは西洋的な偏向だ。身体をときには軋ませときには跳躍させて踊ること、もはや衣服とは思えないほど奇抜なファッションを身に纏うこと、もつれる指に速いパッセージを覚え込ませてギターを弾きこなすこと、これらはすべて、書かれたテクストを読み、註釈し解釈するのと同じことだ。
 これらはすべて儀礼であって、原初的なインスピレーションの発露などではない。これらはみな、形作られた所作だ。そして、形作られたものであるからこそ美しい。身体儀礼によって刻印された法規範はテクストでない、と断ずる根拠がどこにあるだろうか。
 テクストをもっと直接的な方法で刻み込むこともできる。そのことを今から見ていこう。

去勢教スコプツィ

 スコプツィの「父」と考えられているのは、オリョール県(モスクワから360キロ)の鞭身派の農民3人。自分たちと他に30人を去勢した。淫欲の罪を防げば、永遠に生きることができると信じていた。去勢を自らに施した一人がセリワノフで、やがて自分をイエスだと宣言するようになる。信者は1772年、シベリアに流刑されたが、これはセリワノフに有利にしかならなかった。その後シベリアに同じく流刑されたセリワノフは、20年後に数十人の農民を信仰にひきいれた権威ある神秘家として、サンクトペテルブルクに戻った

スコプツィの誕生と繁栄

 スコプツィは18世紀末のロシアで生まれたキリスト教の異端教派で、肉欲をこの世から根絶するために信者を去勢していた。曰く、原罪はアダムとイブの性交によって齎されるもので、生殖器はカインの呪いそのものであると9。彼らは鞭身派(khlysty、フルイスト派)10から派生した、霊的キリスト教のひとつであるといわれる。
 フルイスト派は17世紀の教会改革のときに正教会を離れた分離派、古儀式派の流れを引き継ぐものだが、中でも無司祭派と呼ばれる司祭の存在を認めない流派の影響がつよい。彼らには司祭も正典も教義もないから独自の信仰に陥りやすく、フルイスト派もそのような状況下で出現してきた、もはや古儀式派の枠組みを外れた11セクトである12。スコプツィもこのような面を強く持ち合わせている。それは正教会の形式にこだわる面への反動として出現した。

 先に述べたとおり、スコプツィの信者は「火による洗礼13」すなわち男性の睾丸と陰茎の切断、女性の乳房切断を実践する。男性の場合、まず新加入者はふたつの「地獄の鍵」、すなわち睾丸を切断した。これを「小封印Lesser Seal14という。その後、信仰が進むと陰茎を切り取って、これは「大封印Greater Seal15と呼ばれる16
 当初は睾丸を焼き切ることだけが行われていたが、これでは不十分であることがわかってきた。性欲のようなものはかたちを変え残存するからである。そこで陰茎の切断も行われるようになった17。余談だが、去勢の後にもあらわれる変形した性欲というのは中国の宦官の間でも報告されていて、宦官と女官の不義や結婚というのも存在したという18
 女性の場合は乳首や乳房、陰核や陰唇を切除する。生殖機能が損なわれることはないから、ある意味これは象徴的なものであった。

彼らがよりどころとした聖書の記述はマタイによる福音書19:12であったと言われる。

10 弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えないほうがましです」と言った。

11 イエスは言われた。「誰もがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。

12 結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」

新共同訳

英語での19:12は

For there are eunuchs who were born that way, and there are eunuchs who have been made eunuchs by others—and there are those who choose to live like eunuchs for the sake of the kingdom of heaven. The one who can accept this should accept it.”

Matthew 19:12

となっており、”eunuchs“という表現が直接的に登場している。日本語版でも、「閹人」という言葉が使われている訳はあるようだ。「結婚できないようにされた者」というのは少々婉曲的にすぎるように思われる。

Origenes.

 さらに遡れば、誘惑や宗教的な罪を避けるための去勢という考え方はギリシアの哲学者オリゲネス19や2〜3世紀のValesiiというセクト20にさかのぼることができる。しかし325年のニカイア公会議で宗教的な理由による自己去勢の禁止が布告され、これらの事例は異端となった。

開祖コンドラティ・セリヴァノフ

官能が世界を啖い尽くし、神に背かせ,神に至ることを許さない。それゆえ官能の滅びの中で,多くの教父は教えを、預言者は預言を,聖人と苦行者はその功業を失い、天国に辿り着けず,永遠の宝を滅びの生活に見替えてしまった。〈……〉童貞と純潔を保て。〈……〉無駄口をたたくな。無駄口からは悪しき官能が生じ,これを根絶するのは容易ではない。〈……〉悪しき官能を遠ざけ,男は女と,女は男と,無駄口や笑いを交わすな。笑いから宮能は生ずる。けだし官能とは磁石のようなもので,その特性は近くにある鉄を惹きつけることだが,女の魅惑も同様に,女と真近く交わる男をその生まれながらの特性によって惹きつけ,知らぬ間に人心へ入りこみ,衣魚のようにあらゆる徳を食い尽くし,神の恵みを放逐する。

セリヴァノフ「書簡」
,Kondratiy Ivanovich Selivanov, the founder of skoptsy

 スコプツィの開祖はコンドラティ・セリヴァノフという人物だとされている21。彼はオリョールの農夫であり、先に述べたフルイスト派の信者であったが、「百尺竿頭に一歩を進めて,その禁欲主義を解剖学的な去勢手術にまで突きつめた」22ものすごい人物だった。彼はみずからを「神の子」「贖い主」と宣言し、フルイスト派の信者に去勢を訴えることでそのセクトは次第に拡大していった。1772年に信者が多数裁判にかけられ、セリヴァノフ自身もシベリアに送られた。

 しかし1795年、彼は帰ってきた。信者の助けを借りつつ流刑地を逃れた彼は、(経緯については諸説あるが)時のツァーリ・パーヴェル1世に謁見した。去勢派内部の伝説ではセリヴァノフは刺客を逃れ、密かに伝道生活をおくるようになった皇帝ピョートル3世その人とされているから、パーヴェル1世は

「民衆の噂によればおまえはわたしの父親だそうだが、それは本当か」23

と問うた。セリヴァノフはそれに対え、記事冒頭に引用したセリフで「息子」をスコプツィに改宗させようとした。それを聞いたパーヴェル1世は、単に「父」を24修道院に監禁しただけであった25

 1802年に釈放されてのち、彼はサンクトペテルブルクに住み、近衛士官や商人、下級貴族などをセクトに引き入れた。去勢派の人気は上流階級の間でさえ高く、貴族アレクセイ・エレンスキーは政府に『ロシアの改造と神聖官房についての計画』という建白書を提出して国家の権力を去勢派に委ねるよう提案したし、皇帝アレクサンデル1世にも

アウステルリッツのナポレオン軍との戦いの前に、皇帝アレクサンドル1世までもがセリワノフを訪ねたという。セリワノフは「呪われたフランス人(ナポレオン)と開戦してはならない」と言い、敗北を予言した。

謎めいた「去勢教」の歴史

という逸話があるぐらいである。その後スコプツィは貴族からの人気を失い、信者は兵役に送られたりシベリアに送られるようになったが、そこでも彼らは信者を増やした。

スコプツィ、その後

 セリヴァノフは1832年に死んだ。「官能への怒りと純潔への渇望26」によってカリスマとなった宗教者であった。

 その後スコプツィはどうなったのだろうか。1910年、スコプツィがその黄金期を終えたあとの新聞記事を参照してみよう。今までに述べたことと矛盾するような情報もあるが、なかなか興味深いものだ。このときスコプツィは第二次ブームを迎えており、その主たる人物はKuzma Fedoseyev Lisinであったようである27。彼は「大封印」を済ませた者だった。

以下に翻訳を掲載する。

1910年のNew York TImesの記事(Copyright表記はあるがすでにPublic Domain)。
“Skoptsy Members on Trial”(The New York Times、1910年10月6日

スコプツィの信徒 公判中

ロシアは異様なセクトの弾圧に躍起になっている

 ハルキフ、9月28日――巡回裁判所は去勢セクトの信者141人(14歳から85歳までの67人の女性を含む)の裁判を開始した。
 215人の証人が召喚された。
 政府はセクト根絶のために断固とした対応をとっている。

 前述のセクトはロシア――奇妙な宗教団体を多数抱える国――においてさえもっとも異様なもののひとつである。一説によると、このセクト、スコプツィの創設者はアドリアンという西暦1000年ごろロシアに住んでいた異国の僧であったといわれる。続く世紀においても、アドリアンと同じようにスコプツィ創設者と目されたロシアの高僧たちが記録されている。

 18世紀にはセクト壊滅が試みられ、エカテリーナ2世はスコプツィの指導者たちを幾人か処罰した。多くの信者たちは海外、特にルーマニアへと逃れたが、運動はロシアで再び力を強め、40年前、リシン――「第二の贖い主にしてピョートル3世の生まれ変わり」のもとで最高潮に達した。彼は1876年にシベリアに送られ、それ以来スコプツィ弾圧の試みはときどき行われてきた。

 儀式を終えたセクトの信者たちはしばしば金貸しになり、彼らの同類のなかでも最も貪欲だといわれた。ロシアの立場ある人々が経済的破滅の後にスコプツィに入信する例は多数ある28

スコプツィとテクスト

 スコプツィについてずいぶん長々と語ってきたが、ここでひとつの問題が立ちあらわれる。スコプツィの営みがテクストであること・・・・・・・・・・・・・・・・・・は疑うべくもないのだが、ときとして聖書の記述が去勢理念の根拠として挙げられることはそれと矛盾している。このことはどう考えたらよいだろうか。
 ローザノフ29の指摘するとおりだが、これらは部外者の発想するところのものだろう。聖書という書かれたテクストを根拠に据える必要は彼らにとってはなかった。去勢こそが根拠であり、狂濤的な輪舞こそが根拠だった。それこそ書かれたテクストというなら、旧約聖書の申命記23:1には「すべて去勢した男子は主の会衆に加わってはならない。」ともある。ぼくは専門家ではないのでなんとも言えないが、セリヴァノフ自身はこのあたりの事情を理解していたのだと思う30

  われわれは書かれたテクストに依拠することに馴らされているから、身体的な儀礼を野蛮なものだとみなしてしまう。たとえば原始的な部族が行う、皮膚を傷つけたり、入れ墨をいれたり、歯を抜いたり研いだりする風習のことだ。
 だがこれらは、絶対的に・・・・野蛮なのだろうか。去勢はキリスト教の真の教えではないのだろうか。割礼は正しくないのだろうか。LSDでは涅槃にたどり着けないのだろうか。生贄は捧げてはいけないのだろうか。事実彼らが野蛮なのだとしても、何故そうだとわかるのか。

1984年

…昔の専制君主は『汝、なすべからず』と命じた。全体主義の命令は『汝、なすべし』だった。われわれの命令は『これなり・・・・』なのだ。

オーウェル「1984年」

 少しだけ話を変えよう。「書かれたテクストは無限に書き直せる」という信念、「書かれたテクストによる支配」という概念はディストピアを描いた古典「1984年」にもあからさまなかたちであらわれる。
 作中で主人公が勤務する真理省は資料を党にとって都合がいいように作りかえる部署であり、これによって党は歴史を支配することができる。書かれたテクストが権威としてふるまい、そのテクストは無限に書き直せる、という状況下において個人がそれに抵抗することは絶望的であろう。

党のもう一つの武器はニュースピーク(Newspeak)という新しい言語だ。ニュースピークは党員の正当な思考・・・・・のために考案された言語であり、思考の拡大ではなく縮小を目的としていた。その目的は、語彙の削減単語の副次的な意味の切り詰めによって達成される。
 たとえば「暖かい warm」は「非寒い uncold」によって置き換えられ、think→thoughtのような不規則変化は廃止されて単に「thinked」となる。そこに「良思考 goodthink31」「犯罪思考 crimethink」「思考警thinkpol」のような、政治的な意味合いを持って意図的に考え出された、つぎはぎのような語が添加された。「名誉 honour」「正義 justice」「道徳 morality」「民主主義 democracy」といった語は姿を消し、「犯罪思考 crimethink」などの包括的な語に吸収された。
 freeのような一部の語は残されたが、これは通常の英語で「雲がない free from clouds」というときのような意味でしか使えない。ニュースピークにおいても「All mans32 are equal」というような文章を構成することは可能だが、これは「すべての人間は平等である」を意味することはできなくて、「すべての人間は(身長や体重などが)等しい」ということを言っている程度にしかとれない。

書かれたテクストに対する絶対的な依拠がここまで劇的な結果をもたらしうるということを見抜き、それをわかりやすく示したオーウェルの慧眼には感服するほかない。われわれが言語無しで生きられるとはぼくには到底思えないが、言語をつかうということ自体がひとつの賭けであって、このような袋小路に落ち込む危険をいつでもはらんでいる。

おわりに

ここまで、主にスコプツィを通して、書かれたテクストと身体儀礼の対立について概観してきた。べつにこの文章は身体儀礼を礼賛するために書いたわけではないし、ぼくは去勢も割礼も生贄の儀式もご免こうむりたいが、ここには何かがある気がする。これは単にぼくの誤解であったり、もしくはセリヴァノフの術中にはまっているだけかもしれないが。

参考文献

  1. 青山太郎「ロシアの性愛論 (7) : 去勢派」
  2. 青山太郎「ロシアの性愛論 (8) : 去勢派 2」
  3. 澁澤龍彦「秘密結社の手帖」
  4. 謎めいた「去勢教」の歴史
  5. http://eresie.com/it/Selivanov.htm
  6. 佐々木中「夜戦と永遠」
  7. 三田村泰助「宦官」
  8. オーウェル「1984年」
  1. いまから展開されるような説は参考文献6. による。
  2. ルジャンドル曰く、「真と同等なものとは、『ここに書いてあるc’est ecrit』である」。彼にとっては宗教もこのように、(説明ではなく)究極的な根拠をもたらすものなのではないかと思う。
  3. フランスの法政史家、精神分析家、思想家。中世の修道士が埃臭い地下書庫から蘇ってきてこともなげに現代政治を論じているような不気味さのある思想家である。「切れる」ではなく「強い」。
  4. ヨーロッパ最古の大学といわれているらしい。
  5. いわゆる「カノッサの屈辱」でハインリヒ4世を土下座させたことで一般には有名。
  6. 「グラーティアヌス教令集」のそもそもの名前は「矛盾教会法令調和集」という。
  7. ルジャンドルの弁。Le désir politique de Dieuにある。
  8. ルジャンドル、1982
  9. 参考文献3.
  10.  澁澤龍彦いわく「救済を得るために罪を犯すべし」、罪を悔い改めることでかえって救済されるといったような逆説的な信仰を持っていた……というが、これは鞭身という名前からの連想にすぎないだろう。実際は禁欲主義、舞踏による神との一体化を旨としていたようである。
  11. 古い正教会の儀式を守っていないのだから古儀式派とはいえない。
  12. 文献1. 彼らの極端な禁欲主義と二元論はブルガリアに存在したボゴミールという派と類似しており、さらに異端パウロ派、グノーシス主義等につながっている可能性もあるが、単なる類似にとどまらず直接的な影響を受けているかは定かでないという。
  13. 当初は熱した鉄を用いたのでこう呼ばれる。
  14. 「栗毛の馬に乗る」とも称されたらしい。
  15. 「王の封印」「白馬に乗る」とも称された。
  16. 文献3。
  17. 文献2.
  18. 文献7.
  19. みずから去勢したという噂があった。
  20. ブリタニカ百科事典のeunuchの項にあったが細かいところは不明。
  21. 他にアンドレイという重要人物もいたというがその正体は定かでない。文献1.
  22. 文献1.
  23. 文献1.
  24. 狂気の者のための
  25. なんともコクの深いエピソードである。皇族を名乗るのは万国の山師に共通の手法なのだろうか。余談だがセリヴァノフは、偽キリストと偽皇帝を兼ねたロシア史上でも稀な人物だという。
  26. 文献2.
  27. 文献5.
  28. 貧者を負債で縛ったり、将来の去勢を前提として孤児などを使用人として雇用する例はあったという。文献2.
  29. Vasilii Vasil’evich Rozanov. ロシアの哲学者・宗教思想家。
  30. このあたりのことも文献2.に書いてある。
  31. ニュースピークにおいてはthought(名詞)はthink(動詞)で代用できる。
  32. これは誤記ではなく、ニュースピークではこうなる。