評論

地図と領土が交わるところで

「地図と領土」といえばミシェル・ウエルベックの小説である。孤独な芸術家ジェドが世捨て人の作家ウエルベックと出会う物語だが、このタイトルは言語学者コージブスキーの「地図は領土ではない(A map is not a territory)」という言葉が元になっている。

机の裏に地図を貼る

 先日のWIREDにおけるやくしまるえつこのインタビューはすごかった。このインタビューでのやくしまるの発言はSFに満ち満ちている。究極のプライヴェートとしての遺伝情報。人類をすげ替えるための偽装工作。冷蔵庫は家電の中でいちばん人間に近くて、固定電話の受話器は過またない。

詩とつながり

中原中也の「月」という詩にこんな一節がある。

ザ・ゲームに負けた

いい遊びをおしえよう。どうやらゼロ年代ごろに流行っていたようだが、「ザ・ゲームThe Game」というゲームがある。これがどういうものか知るには、ひとまずWikipediaの説明を読んでみるのがいいだろう。よく練られたルールはプレイヤーを飽きさせず、競技人口はいまも刻々と増え続けている。

彫刻はなぜ無限の絵でできていないのか

竹内外史が芸術についておもしろいことを言っていた。

空想から空想へ――社会主義の臨界点

 マルクスのよき理解者・エンゲルスによって書かれた「空想から科学へ」は、社会主義の入門書として名高い。その構成はよく練られていて、第一章は空想的社会主義者たちを賛美すると同時にその限界を示し、第二章で哲学・形而上学――とくに弁証法――について考察し、第三章では資本主義の死滅と社会主義の必然的な登場が語られる。

ミカドの禁忌――「金枝篇」より

フレイザー卿の「金枝篇」は、神話・呪術・宗教をめぐる壮大な書物である。そして、この本のどこがいけないかというと、あまりにもカッコよすぎるところだ。正確な研究書というのは往々にして泥臭く、深い滋味はあるけれどもあからさまなカッコよさはない。その点、金枝篇は「本からできた本」「安楽椅子の人類学」というそしりを免れえない。

9/11・ヴェイパーウェイヴ・冷戦

21世紀に幽霊が出る――ノスタルジアという幽霊である。存在しない過去に対する憧憬は何よりもうつくしい。それは過去にありながら(しかもほんとうに存在したかさえわからないのに)、魅力的な未来を生成する。「あの出来事さえなかったら、いつまでも楽しかったのに」と。その出来事は、たとえば、9月11日に起きた。

服装によって自分が何者であるかを悟られたくない

人に「なんで服なんか着るんですか? 」と真面目くさった顔をして聞いてみれば、その返答はおおかた「裸で歩いてると捕まるから」「変な人だと思われるから」といったようなものになるだろう。つまり、衣服は物理的な便宜をはかるためだけに着られているのではなくて、つねに何らかの意味をもっている。

去勢とテクスト――スコプツィを通じて

西洋は伝統的に「書かれたテクスト」を重要視してきた。書かれた法にしたがうことを受け入れ、それ以外の儀礼によって編まれるものは排除される。……というと唐突に聞こえるかもしれないが、この「テクストへの準拠」というのは現代人にもおなじみのものだ。