9/11・ヴェイパーウェイヴ・冷戦

21世紀に幽霊が出る――ノスタルジアという幽霊である。存在しない過去に対する憧憬は何よりもうつくしい。それは過去にありながら(しかもほんとうに存在したかさえわからないのに)、魅力的な未来を生成する。「あの出来事さえなかったら、いつまでも楽しかったのに」と。その出来事は、たとえば、9月11日に起きた。

服装によって自分が何者であるかを悟られたくない

人に「なんで服なんか着るんですか? 」と真面目くさった顔をして聞いてみれば、その返答はおおかた「裸で歩いてると捕まるから」「変な人だと思われるから」といったようなものになるだろう。つまり、衣服は物理的な便宜をはかるためだけに着られているのではなくて、つねに何らかの意味をもっている。

4次元n目並べ入門(n=3)

三目並べ(まるばつゲーム)は暇つぶしとして広くしられているが,これは3×3マス,2次元の空間に記号をおいていくゲームだ.われわれは3次元の世界に生きているのでこのようなたぐいのゲームは3次元に拡張することができて,商品としては立体四目並べがある.本記事では,このようなゲームを4次元に拡張することを考える.ルールの選択肢はさまざまあるが,ここではひとまず,盤面の大きさが3×3×3×3の3目並べについて考えてみたい.

去勢とテクスト――スコプツィを通じて

西洋は伝統的に「書かれたテクスト」を重要視してきた。書かれた法にしたがうことを受け入れ、それ以外の儀礼によって編まれるものは排除される。……というと唐突に聞こえるかもしれないが、この「テクストへの準拠」というのは現代人にもおなじみのものだ。

オタクについて語るときにわれわれの語ること

ところで、あなたはオタクだろうか。そもそもオタクを定義することはむずかしいし、ゼロ年代ごろとは状況が大きく異なっていて、「オタク像」というものが正体をうしない、拡散しつつあるのでこれは更に難しくなっている。果たして、このようなものの全体について語ることなどできるのだろうか。

エドワード・ホッパーの作品について

ぼくはエドワード・ホッパーの作品を見るとき、その脱臭されたセクシュアリティをどうしても嗅ぎつけてしまう。彼の作品にはいつもヒリヒリするような孤独感が漂っている。それは作中に性的な示唆があっても変わることがない。たとえば、「Office at Night(夜のオフィス)」を見てみよう;

「ゲルマニア」タキトゥス

「ゲルマニア」は古代ゲルマン民族についての最古の記録であり、まさに帝政ローマをおびやかさんとする民族について、その質素剛健で勇壮な姿をえがきだしている。筆者はタキトゥス。ネルヴァ・トラヤヌス帝時代の大歴史家であり、共和主義者。抑制的ながら鋭い筆致はまさに名人芸だ。ただしティベリウス帝に対しては点が辛い。

「ホワイト・ライト」ルーディ・ラッカー

「ホワイト・ライト」はなんだかとんでもない小説である。主な題材となっているのは無限の概念で、その中でも特に連続体仮説が取り扱われている。これは、集合論という分野そのものの成立に深くかかわっており、集合論の王道に位置する命題だ。連続体仮説でひとつ小説を書き上げることなんてできるのだろうか。それがどうやらできてしまったらしい。

「ココナットの実」夢野久作

この話は夢野久作の短編のなかでもそう有名なほうではないと思う。ところがこれは、悪魔のような美少女がブルドックみたいな成金と身長2mの童貞インド人と骸骨みたいに痩せこけた共産党員に惚れられていて、それでいて誰のものにもならずに神戸海岸通のレストランでひとり高笑いをする……という最高の短編なんである。

「生き延びるためのラカン」斎藤 環

ラカンはフロイトの唯一にして真正な後継者である。……などと書くとどうも宗教じみているが、まあそこそこ当たっているのではないか。彼はフランスで最も偉大な精神分析家であり、また哲学者であり、その理論は晦渋で知られる。一方、ソーカル事件で槍玉に上げられた人物としてその名を記憶している人もいるだろう。